主日の朗読聖書 - C年 年間

テーマ :神に選ばれた人

第一朗読:列王記毛上17,17-24

主はエリヤの願いを聞かれた (1Ki 17:22 JAS)

第二朗読:ガラテヤ1,11-19

けれども、生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方が (Gal 1:15 JAS)

福音朗読:ルカ7,11-17

主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい」と言われた。 (Luk 7:13 JAS)

 
釈義 - C年 年間

第一朗読:列王記上17,17-24

エリヤは北王国(イスラエル王国)で唯一神の宗教を守るため、預言者として宗教活動をしました。しかし、北王国の王アハブとその妻イゼベル(シドン市の人)に迫害され、エリヤはシドン市に住んでいる寡婦の家に留まりました。エリヤと寡婦に起こったすべての困難な事故の理由は人間の罪です(列王記17、18)。だから寡婦にとってはエリヤは神からの罰を伝える人です。彼の活動の結果は、北王国に入る預言者と司祭に対する王アハブによる迫害をもたらしました。そして、シドン市の寡婦の息子の死の責任は彼にあります。それはエリヤの信仰に深い傷を作った事故でした。神の名によって行う活動がそんな実を結ぶことがあるでしょうか(列王記17、20)。しかし、行った奇跡が次の事を証します:いくら大変な時期があっても、神は選ばれた人を必ず助けてくださる(列王記17,24)。

第二朗読:ガラテヤ1,11-19

ガラテヤに住んでいる信者たちからパウロはさまざまな激しい批判を受けました。その中にはパウロは正しい使徒ではなく、パウロが述べ伝えている福音はイエスの福音ではないなどという話がありました。実は、第二朗読の言葉はパウロの弁明です。パウロの話の目的は、述べ伝えている福音がイエスから直接貰った福音だという議論をすることです。実に、神に選ばれた人の人生は簡単ではあません。

福音朗読:ルカ7,11-17

福音書の言葉と第一朗読の言葉の歴史的な背景は異なりますが、これら二つの場面は似ています。イエスは寡婦の息子を復活させました。この奇跡は人々がイエスを信じる理由となりました。そしてそれは、神は選ばれた国民と共にいるということを人々に証することでした。

 
メッセージ - C年 年間

 

「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」

神の似姿として造られた人間は、神様との交わりの中で永遠に生きるように造られた者です。アダムとエヴァの罪が神と人との繋がりを壊したから、人間に苦しみと死が訪れたと創世記が語っています。多くの預言者たちは救い主の到来を預言し、預言者イザヤは、救い主が病人を癒し、死者を甦らせると宣べ伝えました。この預言の実現は、主イエス・キリストです。本日の福音の中でキリストは、ナインの町で葬式の行列を止めて、亡くなった若者をお棺から呼び出されました。「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」と。すると死人は復活しました。

死者を起こすこの秘跡は私たちのために次のようなメッセージがあると思います。

1. イエス様は、ナインの息子が若く死んだことを残念に思ったことを見せませんでした。むしろ、泣き崩れた寡婦であった母親を憐れに思い、「もう泣かなくてもよい」と彼女に言われ、亡くなった息子を起こして母親に返されたのです

・お葬式の時に人間が亡くなった人のために泣くと思われるが、実は自分のために泣くのです。亡くなった人は安息なさいます。死に分かれる際に残された私たちは自分の心の中にある空洞を気付いて悲しむのです。

2. 心の中で現れるその空しさが私たちの罪の結果であり、人は神様から離れている悲しみ表現します。信仰の内に神様で自分の心を満たす者は、亡くなった人を神に委ね、天国で神様の愛の中で再会することを楽しみにし、祈りと神様との一致の中で故人との繋がりを保つことができます。

3. 死者を起こすこの奇跡は、キリストがいる所に死は存在することなく、命が訪れることを促しています。神様の前に死が一時の眠りに過ぎないことを、また、キリストが命の主であり、私たちの復活であることを示し、キリストによって天と地、人を神とが繋がれ、キリストが罪と死に勝利を治められたことを教えています。

4. キリストは、ご自分の言葉を用いて、ナインの若者を起こしました。もし、私たちの心の中で罪によって死んだ部分がありましたら、神の言葉によって復活させることができます。そして、私たちも神の言葉を用いて、悪と死によって脅かされている人を活か使命があると思います。

 

今日の福音を通して、キリストは私たちの一人ひとりに言われます。「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」と。

 
主日の朗読聖書 - C年 祭祝日

ルカ9・11b-17

11b〔そのとき、イエスは群衆に〕神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。12日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言っ た。「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるので す。」13しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」彼らは言った。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、この すべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」14というのは、男が五千人ほどいたからである。イエスは弟子たちに、「人々を五十 人ぐらいずつ組にして座らせなさい」と言われた。15弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。16すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰 いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。17すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、 十二籠もあった。

 
主日の朗読聖書 - C年 祭祝日

テーマ :命のパン

第一朗読 創世記14,18-20

さて、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。 (Gen 14:18 JAS)

第二朗読:一コリント11,23-26

私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、 (1Co 11:23 JAS)

福音朗読:ルカ9,11b-17

しかしイエスは、彼らに言われた。「あなたがたで、何か食べる物を上げなさい。」 (Luk 9:13 JAS)