主日の朗読聖書 - B年 祭祝日

テーマ: イエスは死者から復活された

第一朗読:     使徒10,34a.37-43

しかし、 神はこのイエスを三日目によみがえらせ、 現れさせてくださいました。 (使徒10:40 JAS)

第二朗読:     コロサイ3,1-4

こういうわけで、 もしあなたがたが、 キリストとともによみがえらされたのなら、 上にあるものを求めなさい。 そこにはキリストが、 神の右に座を占めておられます。 (コロ 3:1 JAS)

福音朗読:     ヨハネ20,1-9

彼らは、 イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、 まだ理解していなかったのである。 (ヨハ 20:9 JAS)

 
釈義 - B年 祭祝日

第一朗読(使徒言行録10・34a,37-43)では、ペトロが力強く、ナザレのイエスこそ神によって油注がれた者であり、生涯の癒しの活動の結果、木にかけられて殺されたが、三日目に復活された後、弟子たちに現れたことと、このイエスを信ずる者は誰でもその名によって罪の赦しが受けられることを証ししている。第二朗読(1コリント5・6b-8)では、パウロが「古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。」と呼びかけている。祝福と呪いの古い契約にもと付く自力達成としての誤った意味での自己実現ではなく、父なる神の子イエス・キリストがわたしたちの過越の子羊として屠られたことを祝うのである。福音書(ヨハネ20・1-9)では、残念ながら、ペトロもイエスが愛しておられたもう一人の弟子も、「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。」と記されている。墓は空っぽであったが、しかし、二人を含む多くの弟子たちにやがて、復活されたイエスが現れるとき、彼らは師イエス・キリストの生涯の教えと癒しの活動・その必然的帰結としての受難・処刑死(十字架上の)・復活を通して、父なる神の深い慈愛と救いの意志を理解したことであろう。そしてその復活の福音は信ずるすべての人々へ開かれているのである。

 
メッセージ - B年 祭祝日

 

「さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。」コロ 3:1-2

 

使徒たちの中で、ゼベダイの子ヨハネと思われる「イエスが愛しておられたもう一人」の弟子だけが最後まで、つまり十字架のもとまでイエスに従いました。そのことができたのは、他の使徒よりもイエスを強く愛していたからでしょう。苦しみを受ける恐れや命を失う恐れを乗り越えるために必要な力をもたらした、イエスに対するこの大きな愛のゆえに、ヨハネはキリストの死のために他の使徒よりも深く悲しんだのではないかと思います。

そんなヨハネにとってイエスの復活は、どんな意義をもったのでしょうか。恐らく、それは何かの宗教的や神学的なことよりも、もう絶対に会うことの出来ないと思われた一番親しい人、自分の命よりも大切な友との再会が可能になったということだったのではないかと思います。復活されたイエスと出会ったヨハネはどんなに喜んだのでしょうか。

そしてそれよりも、素晴らしいことがありました。普段はどんなに深い友情であっても、どんなに美しい愛であっても、それには必ず終わりがあります。しかし、復活されたキリストはもう一度死ぬことがありませんので、いつまでもヨハネと共にいることが出来ます。それはもう何も、死さえもイエスと再会したヨハネを、イエスから引き離すことが出来ないということになるわけです。愛する人にとってそれ以上素晴らしいこと、それ以上喜ばしいことがあるのでしょうか。

イエスを信じるとは、イエスを愛することであって、イエスと永遠の絆で結ばれることなのです。この人は、ヨハネと数え切れないほど多くのキリスト者と共に、聖パウロの次の言葉を述べることが出来ます。すなわち、「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、私たちを引き離すことはできないのです。」(ロマ 8:38-39)これこそ永遠の命であり、最高の幸福と喜びなのです。

 
主日の朗読聖書 - B年 四旬節

マルコ15・1-39
1夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。2ピラト がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と答えられた。3そこで祭司長たちが、いろい ろとイエスを訴えた。4ピラトが再び尋問した。「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」5しかし、イエスがもはや何もお答えになら なかったので、ピラトは不思議に思った。
6ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。7さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバと いう男がいた。8群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。9そこで、ピラトは、「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」と言っ た。10祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。11祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動 した。12そこで、ピラトは改めて、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と言った。13群衆はまた叫んだ。 「十字架につけろ。」14ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。15ピラ トは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
16兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。17そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶ らせ、18「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。19また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。20このように イエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。
21そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせ た。22そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。23没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエ スはお受けにならなかった。24それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、/その服を分け合った、/だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。25イ エスを十字架につけたのは、午前九時であった。26罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。 27また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。29そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって 言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、30十字架から降りて自分を救ってみろ。」31同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になっ て、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。32メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見た ら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
33昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。34三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、 「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。35そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼ん でいる」と言う者がいた。36ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と 言いながら、イエスに飲ませようとした。37しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。38すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。 39百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言っ た。

 
主日の朗読聖書 - B年 四旬節

テーマ: 神の子羊

第一朗読:  イザヤ 50,4-7

打つ者に私の背中をまかせ、 しかし、 神である主は、 私を助ける

(イザ 50:6-7 JAS)

第二朗読:  フイリピ2,6-11

それゆえ神は、 この方を高く上げて、 すべての名にまさる名をお与えになりました。 (フイリ 2:9 JAS)

福音朗読:  マルコ15,1-39

そして、 三時に、 イエスは大声で、 「 エロイ、 エロイ、 ラマ、 サバクタニ」 と叫ばれた。 それは訳すと「 わが神、 わが神。 どうしてわたしをお見捨てになったのですか」 という意味である。 (マコ15:34 JAS)