メッセージ - C年 年間

 

「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」

神の似姿として造られた人間は、神様との交わりの中で永遠に生きるように造られた者です。アダムとエヴァの罪が神と人との繋がりを壊したから、人間に苦しみと死が訪れたと創世記が語っています。多くの預言者たちは救い主の到来を預言し、預言者イザヤは、救い主が病人を癒し、死者を甦らせると宣べ伝えました。この預言の実現は、主イエス・キリストです。本日の福音の中でキリストは、ナインの町で葬式の行列を止めて、亡くなった若者をお棺から呼び出されました。「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」と。すると死人は復活しました。

死者を起こすこの秘跡は私たちのために次のようなメッセージがあると思います。

1. イエス様は、ナインの息子が若く死んだことを残念に思ったことを見せませんでした。むしろ、泣き崩れた寡婦であった母親を憐れに思い、「もう泣かなくてもよい」と彼女に言われ、亡くなった息子を起こして母親に返されたのです

・お葬式の時に人間が亡くなった人のために泣くと思われるが、実は自分のために泣くのです。亡くなった人は安息なさいます。死に分かれる際に残された私たちは自分の心の中にある空洞を気付いて悲しむのです。

2. 心の中で現れるその空しさが私たちの罪の結果であり、人は神様から離れている悲しみ表現します。信仰の内に神様で自分の心を満たす者は、亡くなった人を神に委ね、天国で神様の愛の中で再会することを楽しみにし、祈りと神様との一致の中で故人との繋がりを保つことができます。

3. 死者を起こすこの奇跡は、キリストがいる所に死は存在することなく、命が訪れることを促しています。神様の前に死が一時の眠りに過ぎないことを、また、キリストが命の主であり、私たちの復活であることを示し、キリストによって天と地、人を神とが繋がれ、キリストが罪と死に勝利を治められたことを教えています。

4. キリストは、ご自分の言葉を用いて、ナインの若者を起こしました。もし、私たちの心の中で罪によって死んだ部分がありましたら、神の言葉によって復活させることができます。そして、私たちも神の言葉を用いて、悪と死によって脅かされている人を活か使命があると思います。

 

今日の福音を通して、キリストは私たちの一人ひとりに言われます。「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」と。

 
主日の朗読聖書 - C年 祭祝日

ルカ9・11b-17

11b〔そのとき、イエスは群衆に〕神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。12日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言っ た。「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるので す。」13しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」彼らは言った。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、この すべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」14というのは、男が五千人ほどいたからである。イエスは弟子たちに、「人々を五十 人ぐらいずつ組にして座らせなさい」と言われた。15弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。16すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰 いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。17すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、 十二籠もあった。

 
主日の朗読聖書 - C年 祭祝日

テーマ :命のパン

第一朗読 創世記14,18-20

さて、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。 (Gen 14:18 JAS)

第二朗読:一コリント11,23-26

私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、 (1Co 11:23 JAS)

福音朗読:ルカ9,11b-17

しかしイエスは、彼らに言われた。「あなたがたで、何か食べる物を上げなさい。」 (Luk 9:13 JAS)

 
メッセージ - C年 祭祝日

 

「主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。」1コリ 11:23-24

神は、イエス・キリストにおいてご自身を全ての人の手に引渡してくださいました。それは、一人ひとりの人が、イエス・キリストを受け入れることによって、神を受け入れるためであり、イエス・キリストに自分自身を与えることによって、神に自分自身を与えるためなのです。このように、互いに与え受け入れ合うことによって、人と神が結び合い、最終的に一体になります。これこそ、永遠の命であり、完全な幸福の状態なのです。

ミサの時、聖体拝領することによって、私たちはイエス・キリストを受け入れます。同時に、イエスに従い、イエスに見倣って生きることによって自分自身をイエスに捧げるという洗礼の約束を更新します。ミサの時に受け入れたイエス・キリストを、日常生活においてどのように扱っていますか。イエスが自分の生活の一番大事な方になって、その中心となっているのでしょうか。イエスに従い、自分自身をイエスに捧げるという約束をどのように果たしていますか。

ミサに限らずに日常生活の中にも続けられるイエス・キリストとの交わりによって、イエスへの愛が深まり、イエスとの一致が固まっていきますように祈りましょう。

 
主日の朗読聖書 - C年 祭祝日

ヨハネ16・12-15

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕12「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。13しかし、その方、す なわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こるこ とをあなたがたに告げるからである。14その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 15父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのであ る。」