主日の朗読聖書 - C年 復活節

テーマ :あなたはわたしを愛しますか

第一朗読:使徒言行録5、27b-32. 40b-41

ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。 (Act 5、29)

第二朗読:黙示録5、11-14

「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」 (Rev 5、13)

福音朗読:ヨハネ21,1-19

「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」 (Joh 21、16)

 
メッセージ - C年 復活節

「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。」ヨハ 10:27

イエスが私たちを父のもとに導いてくださいますが、私たちを導こうとして、私たちに呼び掛けるのはイエスだけではなく、他に多くの人がいます。ですから、私たちは実際にイエスに従うために、先ずイエスの声を聞き分ける必要があるのです。いろいろな雑音で満たされている現在の世界に生きて、イエスの声を聞き分けるために、やはり、神の言葉である聖書を読むことによって、イエスの声に耳を慣らす必要があると思います。

けれども、イエスの声を聞き分けることが大事であっても、実際にイエスに従うために、それだけでは十分ではありません。イエスに従うために何よりも必要なのは、父である神のもとに近づきたいという望みと、イエスは本当に私たちを父である神のもとに導くことや、私たちに必要な力を与え、あらゆる危険から守ることができると信じて、イエスに信頼することなのです。

確かに以上の望み、また、信仰と信頼は、恵みですので、先ずそれを願い求める必要がありますが、この恵みを受け入れるために、イエスと二人切りの静かな時間を過ごすことや、諸秘跡においてイエスと出会うこと、それから、イエスの体である教会の生活に参加すること、さらに今の自分の力が許す限りイエスの教えを実行することが非常に重要なことになるのです。

イエスが復活されたと信じるのは、イエスが死者の中から立ち上がったことを認めるだけではなく、現在にも生きていおられるイエスと共に歩み、イエスの導きに従うことなのです。私たちは、イエスが死に打ち勝ったと認めることによってではなく、実際にイエスの導きに従うことによって父である神のもとに近づき、イエスの勝利と復活の栄光にあずかることができるのです。

 
主日の朗読聖書 - C年 復活節

ヨハネ21・1-19

1その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。
2シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。 3シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜 は何もとれなかった。4既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。5イエスが、「子たち よ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。6イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはず だ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。
7イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。 8ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。9さて、陸に上がってみると、炭火が おこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。10イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。11シモン・ペトロが舟に乗り 込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。 12イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であること を知っていたからである。13イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。14イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに 現れたのは、これでもう三度目である。
《15食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、 わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。16二度目にイエスは言われた。 「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、 「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。 17三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲 しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われ た。「わたしの羊を飼いなさい。18はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両 手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」 19ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたし に従いなさい」と言われた。 》

 
主日の朗読聖書 - C年 復活節

テーマ あなたはわたしを愛しますか

第一朗読:使徒言行録5、27b-32. 40b-41

ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。 (Act 529)

第二朗読黙示録11-14

「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」 (Rev 513)

福音朗読:ヨハネ21,1-19

「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」 (Joh 2116)

 
釈義 - C年 復活節

第一朗読:使徒言行録5、27b-32. 40b-41

使徒言行録1章12行から5章42行まではユダヤ教と原初キリスト教に関する部分である。第一朗読の言葉はこの最初の部分の結論である。最も大切な教えは、使徒たちの「ユダヤ教の議会に従うより神に従うべきです」という言葉である。「神に従うべき」という表現の意味は、原初キリスト教が神の御旨の通りに作られた運動である(29行)ことを表している。次の文(30行-32行)は三位一体の教えと関係がある。神はイエスを復活させた。復活したイエスは神の右に上がり、イスラエルの救い主になった。それが事実であるということを証するのは聖霊である。大祭司にとってこのペトロの言葉は冒涜であった(40行)。その時から原初キリスト教の迫害が始まった。

第二朗読:黙示録5、11-14

黙示録4章から11章までの章は福音者ヨハネの啓示と呼ばれる部分である。その中の4章から5章までは小羊の栄光と呼ばれている。殺された小羊はイエスである。イエスは神の右に上げられて天使や聖人や生き物から栄光を受ける。イエス以外神から巻き物を受けることは誰にもできない(12行)。この言葉の意味は、イエスが主であるということである。

福音朗読:ヨハネ21,1-19

21章はヨハネによる福音書に後に付け加えられた部分である。最初は、ヨハネによる福音書は20章30行で終わっていた。21章を加えた理由はペトロの将来や福音者ヨハネの将来について説明するためである。ヨハネ21,1-19ではイエスがペトロを使徒の頭として選ぶために(15-19行)ガリラヤで弟子たちに現れる(1-14行)。福音者ヨハネによれば、教会の頭になる方は誰よりイエスを愛するべき筈なのである。