主日の朗読聖書 - C年 復活節

テーマ :父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします

第一朗読 使徒言行録5、12-16

そればかりか、主を信じる者は男も女もますますふえていった。 (Act 5、14)

第二朗読:黙示録1,9-11a. 12-13, 17-19

私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であって、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。 (Rev 1、9)

福音朗読:ヨハネ20,19-31

イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」 (Joh 20、21)

 
メッセージ - C年 復活節

「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。」

詩37・5

能力や生産性が人間の価値を評価する基準になっている社会に生きている人にとっては、競争が人生の基本的な原理となり、その人には自分をいつくしんだり、他人をいつくしんだりするようなゆとりがなくても不思議ではありません。その人は、神との関係においても、神の恵みといつくしみに頼るよりも、自分の力と功徳に頼るでしょう。それゆえ、神は聖であり正義であると信じても、神は善であり、いつくしみ深い方であることをなかなか心から信じることができず、神を愛する代りに神を恐れている人、喜びと平和の源である神に近づこうとする代わりに、神から逃げようとしている人が大勢いるのです。

「いつくしみ深い神」という回勅の中で、教皇ヨハネ・パウロ二世は、そのような現代に生きている人々に、神のいつくしみについての偉大な真理を新たに意識するように、また、このいつくしみを願い求め、それを実行するように呼びかけています。教皇は教会に、また、すべての人々に確かな模範を示すために、神のいつくしみについて力強く語り、神のいつくしみへの礼拝について教え、神への信頼と隣人へのいつくしみに生きたシスター・ファウスティナを2000年4月30日に聖人にあげて、復活祭の次の日曜日(復活節第2主日)を神のいつくしみの主日として定めました。

神のいつくしみの主日を祝い、聖ファウスティナの使命とそのメッセージを通して、一人でも多くの方が神のいつくしみの深さを知り、「イエスよ、あなたに信頼します」という言葉が表す霊性に生き、喜びと平和を味わうようになるようにお祈りいたします。

 
主日の朗読聖書 - B年 祭祝日

ヨハ20,1-9

(1)週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。(2)そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」(3)そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。(4)二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。(5)身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。(6)続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。(7)イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。(8)それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。(9)イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。

 
主日の朗読聖書 - C年 祭祝日

テーマ 神はこのイエスを三日目によみがえらせ

第一朗読:使徒言行録10,34a.37-43

人々はこの方を木にかけて殺しました。しかし、神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現れさせてくださいました。 (Act 10:39-40 JAS)

第二朗読:コロサイ3,1-4

こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。(Col 3:1-2 JAS)

福音朗読:ヨハネ20,1-9

そして、見て、信じた (Joh 20:8 JAS)

 
釈義 - C年 祭祝日

第一朗読:使徒言行録10,34a.37-43

第一朗読の言葉はコルネリオの家で行ったペテロの説教である。コルネリオの家に集まった人々はユダヤ人だけではなく異邦人もいた。使徒言行録にはこの説教が異邦人に対するペテロの最初の説教である。これ以降、イエスの教えをユダヤ人にだけではなく異邦人にも述べ伝え始めた。この説教の内容をユダヤ人に対して行った説教の内容と照らし合わせると、まったく同じ教えが述べられていることがわかる。

第二朗読:コロサイ3,1-4

イエスを信じるようになったコロサイの人々はなかなか異邦人らしい良くない習慣を捨てることが出来なかった。コロサイのキリスト者にこれが出来るように、パウロはこの手紙を書いた。さまざまな倫理的な教えの基本が第二朗読の言葉である。イエスの受難や死や復活のおかげで新しい人間になったコロサイの人々はイエスと共にいる。コロサイのキリスト者は新しい人としてこの世のことを望まず神と天国のことを考える必要がある。

福音朗読:ヨハネ20,1-9

復活の日曜日まで、ヨハネはイエスのことが完全に理解できなかった。イエスの言葉を聞いたけれどこの言葉の意味が分からなかった。イエスの行いを見たけれどもこのしるしの意味が分からなかった。ヨハネが、人間を救うためにイエスの死と復活が必要であるということを理解するには、イエスの受難を見た後、空になったイエスの墓を見るという経験が必要であった。