メッセージ - C年 祭祝日

テーマ:「空の墓」のメッセージ

キリストの復活についての最初の証しは、キリストの「空の墓」です。福音の中で、周の始めの朝早く、マグダラのマリアは、キリストの墓の石が脇に転がしてあり、墓の中には遺体がなかったことを発見します。この報告を受けた使徒ペトロとヨハネが「空の墓」の状態を調べます。キリストの遺体を包んでいた亜麻布があり、頭を包んだ覆いは離れた所に丸めてあった。弟子たちは、何が起こったか理解できず、復活したキリストの姿をまだ見ることもできなかったが、「空の墓」の状況を見て、「信じた」と言います。

1.墓とは、死んだ者が葬られた場所を言います。したがって、「空の墓」は、死が滅ぼされたことを意味します。

2.墓の石は、人の罪の重さ、人間の弱さと罪の束縛を表現します。その石を取り除いた状態は、罪が取り除かれたこと、罪と死からの解放されたことを教えます。

3.「周の始めの日朝早くまだ暗い内に」とは、闇と無から光と存在の秩序へ移す神の創造の業を思い起こします。キリストは神の子としてこの世に来て、世界を新たにし、罪によって命を失う私たちを御自分の死と復活によって救い、神の命に与らせることを促しています。

4.亜麻布と覆いの置き方は、キリスト自身がなさった「跡」を証明しますから、復活したキリストへの道導になります。

キリストに対する私たちの信じる心は、「空の墓」の中にいた二人の弟子に似ているかもしれません。教会の使命は、キリストの復活の印となること、「空の墓」で亜麻布と覆いがキリストの復活を告げたように、教会も御自分の教えと秘跡によってキリストの復活を告げ知らせるのです。

ご復活の福音に対して、それぞれの人は異なった反応を見せます。ある人はイスラエルの指導者たちのように、自分の心を変えたくないからキリストの墓を見ようともしません。他の者は、番兵たちみたいに、「空の墓」を見たにもかかわらず、世俗的な価値を優先にして見なかったことにします。神様を求める人は、使徒ヨハネのように、キリストが残した「跡」を見て、その神秘が理解できなくても、信じて、これについて証ししながら復活したキリストに出会います。

私たちの信仰は一生、「空の墓」の中でキリストの遺体を包んでいた亜麻布と覆いを眺めている死んだ信仰にならないように注意しましょう。復活したキリストは、墓にはおられません。キリストは、復活して私たちの人生の中で生きることを望みます。私たちの一人ひとりの心の中でキリストはご復活するように祈りましょう。

 
主日の朗読聖書 - C年 四旬節

ルカ23・1-49

〔そのとき、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちは〕1立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。2そして、イエスをこう訴え始めた。「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」
3そこで、ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」とお答えになった。 4ピラトは祭司長たちと群衆に、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言った。 5 しかし彼らは、「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と言い張った。
6これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、7ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。ヘロデも当時、エルサレム に滞在していたのである。 8彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たい と望んでいたからである。9それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。10祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激し く訴えた。11ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。12この日、ヘロデとピラトは仲 がよくなった。それまでは互いに敵対していたのである。
13ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、14言った。「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。 15ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。 16だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」18しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。 19このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。20ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。 21しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた。
22ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて 釈放しよう。」23 ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。24そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定 を下した。 25そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。26 人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。 27民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。28イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのた めに泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。29人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言 う日が来る。30そのとき、人々は山に向かっては、/『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、/丘に向かっては、/『我々を覆ってくれ』と言い始める。 31『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」
32ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。 33「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。34〔そのとき、 イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。 35民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」 36兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、 37言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」 38イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。 39十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」 40すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。41我々は、自分のやったことの報いを受けているのだか ら、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」42そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」 と言った。43するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
44既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。45太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。
46イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。
47百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。48見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。 49イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。

 
主日の朗読聖書 - C年 四旬節

テーマ 「完了した」

第一朗読:イザヤ50.4-7

しかし、神である主は、私を助ける。 それゆえ、私は、侮辱されなかった。 それゆえ、私は顔を火打石のようにし、 恥を見てはならないと知った。 (Isa 50:7 JAS)

第二朗読:フィィリピ2,6-11

人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。 (Phi 2:7-8 JAS)

福音朗読:ルカ23,1-49

イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。 (Luk 23:46 JAS)

 
釈義 - C年 四旬節

第一朗読:イザヤ50.4-7

第一朗読の言葉は預言者第二イザヤの人生と関係がある。預言者は神のみ旨に従ったため、

人から迫害された。しかし、預言者は神の僕として、苦しい時や困難な時に神を信頼する。

第二朗読:フィィリピ2,6-11

第二朗読の言葉にはさまざまな重要なキリスト論的教えがある。まず、イエスが永遠の神であるということ(6行)。次に、イエスが神として人間になったということ(7行)。人間として、死ぬまで自身を低くしたということ(8行)。神がイエスを高く引き上げたということ(9行)。また、イエスが主になったということ(10-11行)。この部分は「ケノシス賛歌」と呼ばれている箇所である。

福音朗読:ルカ23,1-49

ルカによれば、ピラトやヘロデはイエスが無実(むじつ)の人であるということが良く理解できた。また、イエスを殺した人々は全ユダヤ人ではなくユダヤ教の偉い人々である(大祭司や律法学者)。

 
メッセージ - C年 四旬節

 

「そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」マコ 11:9-10

エルサレムに入城されたイエスを王様として歓迎している群衆を見るとイエスの活動は大成功したように見えるでしょう。その時、イエスに従った弟子たちは、イエスの仲間であることを誇りに思っていたに違いないと思います。けれども、ホサナ(私たちを救ってください)と叫んだ群衆は、数日後に「十字架に付けろ」と叫ぶようになったし、殆どの弟子たちは、イエスの仲間であると認める勇気がなくて、イエスを離れてしまったのです。

恐らく群衆がイエスを王様として迎えたのは、イエスの力を知って、イエスこそが彼らの要求やいろいろな期待を満たしてくれると信じたからでしょう。けれども、イエスが指導者たちによって逮捕されて、裁判に掛けられたら、自分を守る力さえ持っていないように見えたので、同じ群衆はこの人を味方にしても、自分の利益にならないと思って、イエスより力強く見えた指導者たちの味方になり、自分たちを騙したと思ったイエスのために死刑を請求するようになりました。

イエスは、自分の働きが成功したように見えても、自分の使命を忘れずに、父である神に頼り続けたし、神に見捨てられたように感じて、失敗したように見えても、神に信頼し続けました。結果的に、イエスは、どんな状況においても、父である神の命を受けて、神によって生かされていましたし、受け入れた命を他の人に伝えて、他の人を生かすことができたわけです。

私たちは、自分の要求を中心にして生きていた群衆や弟子たちのように、絶えず変わる状況に振り回されることなく、逆に、イエスのように本当に大切なことを知り、父である神を愛することによって、どんな状況においても父である神に忠実に生き、神が定めた目的に向かって力強く生きることができるように祈りましょう。