主日 - C年 年間

第一朗読のシラ書でも、そして福音朗読のルカ福音書においても、「へりくだること」が重要なテーマになっています。「へりくだること」「謙遜であること」は、聖書においてだけ強調されていることではなくて、日本の一般的な社会でも、あるいは世界の様々なところにおいても、美徳とされています。けれども、果たしてその一般的な美徳である「謙遜」と、聖書が求める「謙遜」が同じものであるのかと言えば、必ずしもそうではないと思います。

私たちが謙遜さを示すとき、それは結果として、周りの人に対して示されるものですけれども、キリスト者としてのへりくだりは、本質的に神の前でのへりくだりです。神の前で自分の弱さを受け入れることで、自分も他の人も、何者であろうと、すべての人が等しく神の前では罪と弱さを抱えた存在でしかないと悟るなら、おごり高ぶることも、人を見下すこともなく、逆にこびへつらうこともないでしょう。

また、十字架の上での死に至るまでイエス・キリストが示した謙遜にならうことを忘れないなら、謙遜さとは、自らの使命を受け入れて奉仕することでもあると知ることができます。

私たちは、誰に対して、何に基づいてへりくだろうとしているのか、どこを目指して謙遜であろうとしているのか、見失うことがないようにしたいものです。

Share