メッセージ - C年 年間

福音朗読の中で取り上げられているたとえ話では、いずれにおいてもわかりやすいイメージが用いられており、場面を想像し理解しやすくはなっていますが、しかしその理屈は簡単に納得できる当たり前のことではない、考えさせる内容になっています。

見失った羊のたとえ(ルカ15:4-7)では、見失ったたった一匹の羊を探すために九十九匹を野原に残す、というとんでもないリスクを冒すことが当然のように語られています。

無くした銀貨のたとえ(10:8-10)では、日当にあたる額とされるドラクメ銀貨を無くして、無事に見つけた女が、友だちや近所の人を呼び集めて一緒に喜んでもらおうとする、という大げさな態度が当たり前のように描かれています。

そして放蕩息子のたとえ(10:11-32)では、財産を無駄に食い潰し、放蕩の限りを尽くして、恥をしのんで、息子としては無理だろうから雇い人として受け入れてもらおう、とする息子の思いをひっくり返すような、父親の愛が示されます。

神の愛は、そこに与る人の数が多ければいいという問題ではなく、他の誰でもない、まさにこの「私」に向けられたものである、という重みを大切にしたいと思います。


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