メッセージ - C年 年間

今日の福音朗読(ルカ20:27-38)でイエスが伝えている「復活」は「よみがえり」や「蘇生」とは異なります。もし復活が「よみがえり」や「蘇生」であるなら、その「復活」は、今私たちが生きているこの世の命の単なる延長でしかなく、二つの命のあり方は全く同じであって、同じ価値しかありません。だから「復活」を「よみがえり」の意味でしか捉えていなかったサドカイ派の人々は、この世の結婚と跡継ぎの制度を復活にあてはめてイエスに難癖をつけ、論争を挑んできました。

しかし、それは大変な思い違いでした。イエスが語る復活の命は、この世の命とは全く異なるものです。だからこそ私たちは今、苦しみや痛みがあるとしても、希望を持って、喜びを持って生きています。不完全な世の中に垣間見える神の愛に力づけられて、簡単ではない日々を生きています。他の何を犠牲にしてもこの世で生きることが究極の目的であれば、自分の信仰も、信念も、親兄弟や友人を売り飛ばしてでも生きようとするでしょう。けれども、そのような命の生き方に、私たちは価値を見出しません。神の愛の内に生きる復活の命こそ、イエスに従って生きる命です。

同じように第一朗読のマカバイ記(第二マカバイ7:1-2, 9-14)では、七人の兄弟と母親が、神に背いて生きることよりも、神に従って苦しみを受け、自分の命を引き渡すことを選ぶ姿が描かれています。第二朗読のテサロニケの教会への第二の手紙(2:16-3:5)でも、パウロが、道に外れた悪人から逃れて、永遠の慰めと確かな希望を与えてくださる神の愛と、キリストの忍耐を悟るように勧めています。

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