メッセージ - A年 待降節

洗礼者ヨハネが天の国の到来が近いことを宣べ伝え、人々に悔い改めを呼びかける姿は、「荒れ野で叫ぶ者の声」(マタイ3:3)とたとえられています。実際にユダヤの荒れ野で活動していたヨハネは、らくだの毛衣を着て、腰に革の帯を締め、イナゴとの蜜を食べ物としていた、という独特の風貌でしたが、更に厳しい言葉を用いて人々を非難し、その罪をとがめます。神の怒りが差し迫っており、木の根元には斧が置かれていて、良い実を結ばないなら、すぐに切り倒されて火に投げ込まれる、という厳しさです。まさに人が生きていくことができない、過酷な自然環境である「荒れ野」のあり様です。

しかし、そんな荒れ野でこそ、「聖霊と火」で洗礼を授ける、洗礼者ヨハネよりも優れた方の到来が告げられました。荒れ野でこそ、救いの訪れ、神の国の訪れが宣べ伝えられました。私たちは、だれしも自分の「荒れ野」で、苦しい状況を生きることがあります。けれども、そんな荒れ野の中にこそイエスが生まれた、人々の苦しみや痛みによりそい、いやしを与えるために生まれた、そういうことを思い起こさせてくれます。

人々が幸せを感じ、楽しみを分かち合うクリスマスの時期だからこそ、荒れ野のメッセージを大切にしたいものです。

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