メッセージ - B年 待降節

イエスの誕生物語が収められている福音書はマタイとルカだけです。マルコとヨハネにはイエスの誕生を描いた場面はありません。ですから、福音書が重要なものと考えて描こうとしているのは、実は「イエスが生まれた時の歴史的な状況」ではなく、「イエスがこの世に来られたことの意味」であるということがわかります。

先週から典礼暦がB年になり、主日のミサではマルコ福音書がメインに朗読されますが、待降節の朗読箇所もイエスの誕生にまつわるものではなく、その活動が始まる直前の話から始まります。他の福音書でもそうですが、マルコでもまず洗礼者ヨハネがイエスの先駆者として登場します。マルコ福音書の冒頭にあたる今週の福音朗読の箇所(1:1-8)でも、洗礼者ヨハネが主の道を準備する者として、罪の赦しのために悔い改めの洗礼を授ける人物として現れます。

もちろんヨハネは正しく偉大な人物として描かれていますが、跡から来られる方は彼よりも「優れている」と言われています。私たちにとって、洗礼者ヨハネとイエスの違いはどこにあるでしょうか。イエスとは私にとって、どんな方なのでしょうか。待降節はその意味を考えるときでもあります。

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