メッセージ - B年 待降節

今週の福音朗読の箇所(ルカ1:26-38)である受胎告知、お告げの場面で、マリアの最後の言葉、「私は主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように」はとても有名な言葉で、ラテン語訳の最初の言葉を取って「fiat」と呼ばれたりします。

この後のマリアの人生、マリアがどのようにしてイエスと歩んでいったかを思い起こすと、その「お言葉通りになりますように」という言葉は、「そのままどうにでもなればいい」という投げやりな諦めでもなく、自分は何も関わろうとしないで「流れに任せてそのままにしておこう」という無責任さの表明でもなくて、むしろ、大きな役割を引き受けるような、積極的な強い意志を感じる言葉だということが分かります。イエスが亡くなられた十字架の下まで一緒についていった、苦しい道を共に歩んでいった母マリアの人生を考えるとき、この言葉の重みが感じられます。

自分の人生の中に神の力からが確かに働いていると感じる、というだけではなくて、自分の言葉と行いを通して神の働きが周りの人々にも及ぶように「神様の働きに私も協力できますように」という祈りの言葉、それがこの「お言葉通りになりますように」に込められた思いです。

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