メッセージ - B年 復活節

今日の復活節第2主日では、まず復活されたイエスが弟子たちに姿を現されました。その時にいなかった弟子の一人であるトマスは、他の弟子たちから復活したイエスを見たという話を聞きましたが、そのことを信じませんでした。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」というトマスの言葉は、トマスの疑り深さを示す言葉のようにも思えますが、私たち一人ひとりにある人間の一面を示しているようにも思えます。私たちが生きている現代社会は様々な情報が飛び交っており、その中で情報の真偽を自分たちで見分ける力が重要になってきます。そうした社会の中で生きる私たちにとって「疑う」という行為は、この世で生きる術です。しかしイエスはトマスが主の復活を「信じるものとなるため」、自らをトマスに現し、そして手の釘の跡、わき腹に手を入れるようにトマスに言われます。イエスは多くのしるしやわざを行ったことが聖書に書かれていますが、その多くが苦しむ人々の救い主であるイエス、そしてその福音を「信じる者になる」ために行われています。この箇所でも、トマスが「信じる者」となるために、わざわざ自らをトマスの前に現しています。

洗礼を受けた私たちも、直接的ではないにせよ、それぞれが復活したイエスに出会った経験があると思います。イエスはトマスにそうしたように、この世の様々な手段、出来事を通して、私たちと出会い、いつも主を信じるように私たちに呼びかけています。私たちは日常にある多くの出来事、周りの人々、環境、ニュースに取り上げられるような事件など、あらゆることを通して、主に呼びかけられています。そしてイエスの復活を信じる私たちは、ミサを通して主と出会い、信仰を新たにして主の呼びかけに応えるとともに、日常生活の中で主を探し求めること求められていると思います。

私たち一人一人がミサ、そして日常生活の中で主との出会いを探し求めるとともに、主が「見ないのに信じる人は、幸いである」と言われたように、私たちも幸いなものとなるよう祈り求めていきましょう。