メッセージ - B年 祭祝日

今日特別な仕方で記念するキリストの御聖体とは何なのでしょうか。簡単に言えば、キリスト自身の奉献であり、自分で先取りして捧げた永遠の供物です。毎回のミサの中で、いつも世界中のどこかで、その唯一の奉献が現実化されます。神秘的な仕方で私たち皆ゴルゴタの丘に運ばれる効果を持つものです。創造主としての神はある意味で全てのものの中に宿っていると言えますが、特に御聖体の中に自分の体と血、魂と神性が宿るとイエス様は約束したのです。

御聖体はどのような効果を持つでしょうか。それに与る信者をキリストの捧げ物に結び、その恵みを受けることを可能にします。「記念」というのは神様にこの新しい契約のことを覚えさて続け、ある意味でその契約を永遠に更新していくものです。葡萄の木と枝の喩えのように、御聖体によって私たちはキリストと一体化していきます。この世の汚れから私たちを清め、聖化するします。

この秘蹟は何故必要でしょうか。荒野をさまよっていたイスラエル人にとって神秘的な糧であったマンナがそれであったように、私たちキリスト者を旅し続けることができるよう力付けて、養い、いつも伴っています。そのため、ダビデの神殿でマナの残りが保管されていたように、私たちは常にキリストが現存する御聖体を聖櫃に安置しています。身体によって戴くものではありますが、心にも入り、五感の認識や知性の理解によらず、信仰の目で見て、イエス人が共にいてくださることを経験させてくれるのです。