メッセージ - B年 年間

パンと言えば、人間の命に必要な糧となるものです。食文化によって、パン、ご飯、トウモロコシなどの主食がありますが、毎日食べるべき糧を必要としています。主の祈りの中にも「私たちの命の糧をお与え下さい」とも毎日祈ります。食事のことは、いつも覚えているでしょう。

今日の福音の中にも食事となるパンのテーマとなっています。ナザレのイエスの話しを聞くために集まった群衆は、食事のことを忘れたと述べられています。ナザレのイエスとの出会を必要としたからです。それと似たような経験は私たち自身もあるのではないかと思います。例えば、楽しく遊ぶ子供たちはお母さんに注意されないと、食べることをよく忘れることがあります。また大人でも好きな仕事や大事なものに気を引かれたら、食事のことを忘れることもあります。

今日の福音の中に書かれた群衆は、ナザレのイエスに魅了されました。したがて、パンは足りないと気づいたのは、群衆ではなく、イエスご自身です。「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」とイエスがフィリポに聞いてから人々を座らせ、パンを増やして弟子たちの手を通してお腹が空いた群衆に与えられます。そうしたら、人々みんなが満腹すると書いてあります。

この聖書の言葉を聞くと一つの大切なことを学ぶことができると思います。それは、もし私たちがイエス・キリストの言葉と指導を求め、イエス・キリストのことを第一のものとするならば、命に必要なものはすべて神様が与えてくださるということです。例えば、日曜日のミサを第一のものとした時、私たちを力づける命のパンであるご聖体をいただくことになります。また、例えば、朝早く起きて祈れば、 祈りは私たちを励まし、力づけるものとなります。

イエス・キリストは私たちに必要な命のパンを与えてくださいます。それは、どれほど大きな恵みでしょうか。手を伸ばして、イエス様が私たちに与えてくださるものをすべていただきましょう。