メッセージ - C年 降誕節

洗礼という出来事は、イエスの生涯において大きな転換点、ターニングポイントでした。この後、いわゆる公生活といわれる、新しい生き方、宣教活動を始めるからです。マタイ福音書やルカ福音書の誕生物語を除けば、大人となったイエスの生涯はここを最初の出発点として描かれています。

「洗礼」という言葉の元々の意味は「水の中に浸す、沈める」ということです。現代のキリスト教の洗礼でも、教派や教会によっては、頭の先まで全身を水に沈めるというやり方をとります。洗礼の説明として、水の中に沈められるのが象徴的に「死」を表し、水中から出てくることが、死を通り抜けて「新しく生まれること」を意味しているのだ、とよく言われますが、そういう意味で洗礼が第二の誕生と言われるのもよく理解できます。

主の洗礼を祝うとき、キリスト者は同時に自分自身の洗礼の意味を再確認します。私たちは母親から生まれ出てきて、命をいただいて生きる者となりました。その後、洗礼を受けることによって、キリスト者はその命に明確な意味を与えられます。ただ生きるのではなくて、イエス・キリストの歩みに従って生きる者となります。洗礼を通して、命が、人生が、イエス・キリストに結びつけられ、神の国の福音に方向づけられます。

キリスト者にとって洗礼は一度きりのことですが、終わってしまった過去の出来事ではなく、この新しい命、生き方にいつも立ち戻って、日々新たに生きていくことです。

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