メッセージ - C年 復活節

復活節第三主日の福音朗読(ヨハネ21:1-14)でも、復活したイエスと弟子たちとの出会いの出来事が語られますが、この話は、私たちと復活のイエスとの出会いにつながるものです。

ペトロ、トマス、ナタナエル、ヤコブとヨハネらは、ガリラヤ湖で舟に乗り込み、漁に出ました。元々ガリラヤ湖の漁師であった彼らは、ありふれた日常の中で、毎日の変わらない仕事の中でイエスと出会った、ということです。これは、必ずしも特別な時や場所、非日常的で感動的な出来事だけが、私たちと復活のイエスとの出会いの場になるのではない、ということが示唆されているようです。取るに足りない、当たり前のこと、つい見過ごしてしまうような目立たない出来事の中でも、私たちは神の恵みに触れることがあります。

また、弟子たちは復活したイエスを見て「それがイエスだとは分からなかった」とされています。生前のイエスと数年間、一緒に寝食を共にしてきた弟子たちが分からないのは変な話だと思われるかもしれませんが、「復活」が単なる「蘇生」ではないということを示しています。ともかく、私たちが出会う復活のイエスは、2000年前に生きていたときの姿形で目に見える現象として奇跡的に現れるというようなことはありません。その出会いは、私たちの心を開いて感じ取ろうとしなければ逃してしまうような、そういう出会いです。

Share