メッセージ - A年 降誕節

皆様の今年一年の目標は何ですか。きっとそれぞれには目標があります。今年をどのような一年にしたいのか。それぞれに夢と希望があるでしょう。今年こそ自分の健康を大事する。ダイエットをして体重を落とす。もう少し食べて、力をつける。まじめに仕事に取り組んで、自分のキャリアーを積んでいく。今年こそ家族のことを大事する。果たせなかった約束を果たす。教会の中、社会の中でもっと貢献する、など。

いずれにしても、今年も私たちはそれぞれの人生の旅の歩みを続けます。人生の旅は、最終的な目標に向かっていきます。キリスト者として、その目標とは「神ご自身」です。聖アウグスティヌスの有名な言葉があります。「私の魂はあなたの内にたどり着くまで、安らぎを覚えない」。そうです。私たちの人生の旅は「神」に向かっています。そこにたどり着くまでは安らぎを覚えない。私たちの中に神はご自身を渇き求めるエネルギー(力、欲とも言える神へのあこがれ)を備えています。それは、モノや財産(富)や名誉があっても決して満足できない神への渇きです。

今日の福音朗読には、羊飼いたちが天使たちの言葉に従って、幼子イエスを探し当てたという話が出てきます。クリスマスは、イエスを探す人々の物語(ストーリー)でもあります。羊飼いたち、三人の博士、ヘロデ大王もイエスを探しました。幼子イエスを探す羊飼いたちの姿は、まさに神を探し求める私たち人間の姿です。幼子イエスを探す三人の博士の姿は、神を探し求める私たちの姿です。神の内にたどり着くまで安らぎを覚えない私たち人間の姿です。

しかし、羊飼いたちや博士たちが見つけた幼子は神ご自身に他なりません。彼らが見つけたのは、実は、人間(私たち)を探し求める神ご自身です。羊飼いたちが飼い葉桶の中に見つけたのは「迷う羊」を探し求める「よい羊飼い」ご自身です。私たちが神を探し求める前に、神はすでに私たちを探し続けてきたのです。私たちが神を探し求めるのは、神が先に私たちを探してきた「反応、応答、答え」なのです。私たちが神に向かって、「あなたの内にたどり着くまで安らぎを覚えない」と言う前に、実は神の方が、私たちを見つけるまで「神は安らぎを覚えない」。なんと勿体いない、何とありがたいことか。クリスマス、受肉の神秘、神が人間となったことは、私たちを見つけるために神がとったもっとも大胆な行動です;私たちを救うために。私たちが信じる神は、何となくいる神ではなく、私たちと同じように生身の人間となったということです。

一方、幼子が寝ている飼い葉桶の傍らにマリア様の姿があります。佇んで祈るマリア様の姿と言えるでしょう。偉大な神の御計画を、迷いながらも、祈りをもって答える聖母マリアの姿があります。一つひとつの出来事、人生の不条理、疑問に対してすぐに答えを求めようとせずに、すべてを心に留め、思いめぐらしたマリア様の姿があります。「祈っているマリアの姿」があります。神の子を自分の胎内に宿って、この世に産んだマリア様がいます。神の内に安らぎを見つけた人の姿です。キリスト者である私たちの模範ではないでしょうか。