メッセージ - C年 復活節

私たちは今日、主の昇天を祝っています。教会の暦を通して、私たちも聖週間の間にイエスの死を思い起こし、復活祭を経て、イエスが死に打ち勝って今も私たちと共にいることを実感し、今日の昇天の出来事を通して、イエスの復活が単に生き返ったというものでなく、神とともに永遠のいのちに生きる者となったことを再確認します。使徒信条にある通り、イエスは「天に昇って、全能の父である神の右の座」についたわけですね。また、私たちはイエスが弟子たちに聖霊を送ると約束していたことを、これまでの復活節の間の福音箇所で見てきました。それは今日の福音の49節にも書かれています。その出来事の実現を来週の聖霊降臨の日に祝います。こうした復活・昇天・聖霊降臨という一連の出来事、イエスの死の後にどのようなことが起こったのか、というこの流れ、そしてその一つ一つの出来事が私たちの信仰の中心であるわけですから、今一度これらの事をしっかりと理解するよう求められていると思います。

さて、今日の福音箇所では、まさにイエスが天に昇られるその場面が読まれていますが、その中で特に私が注目したのは48節「あなたがたはこれらのことの証人となる」というイエスの言葉です。メシア、つまりイエスの死と復活、そして罪の赦しと悔い改め、これらが世界中に宣べ伝えられることの証人となると、イエスは弟子たちに語っています。弟子たち自身がそれを宣べ伝えるのではなく、宣べ伝えられていくことの証人となる、という言い方は、少し不思議に思います。もちろん、弟子たち自身も宣べ伝える者となっていくのですが、彼らの宣教が彼らだけで終わってしまうことなく、後継者に受け継がれ、徐々に世界に広がっていくことを、イエスは天に昇る直前にこうした言葉で弟子たちにまた「約束」をしているのだと思います。この宣教の始まりは、イエスの言葉通り「エルサレム」から始まるものですが、その終わりはどこになるのかは示されていません。これは、弟子たちから現代の私たちに至るまで、そして私たちの後に続くこれからの人々にも、その宣教が続いていくことを教えているのだと言えます。弟子たちの宣教を受け継いだ私たちも一人のキリスト者として、自分の信仰をまた改めて見つめ直しながら、次に伝えていく使命を果たすことができるように、今日のこの主の昇天の日を祝いたいと思います。

先に述べた通り、昇天を含め、イエスがどういう存在であり、私たちが信じるべき出来事は何か、というものが全てミサの中で唱えられる「使徒信条」に集約されています。普段何気なく、ただ唱えているだけになってしまいがちですが、特に今日はこの使徒信条の言葉をよく噛みしめながら、私たちの信仰をしっかりと確認することと致しましょう。そしてその信仰をこれからも固く保ち続けられるように、共に祈りたいと思います。