メッセージ - C年 年間 |
きょうの福音に記された「5つのパンと2匹の魚の奇跡」の中で、主イエスは弟子たちに、「あなたがたが、群集に食べさせなさい」と命じました。すると、弟子たちは、「私たちにはパン五つと二匹の魚しかありません」と答えました。弟子たちにとって、自分たちのうちにあるものはあまりにも少なすぎると思ったのです。ここで興味深いところは、イエスの反応です。弟子たちが、「私たちにはパン五つと二匹の魚しかありません」と答えた時に、主イエスの一番最初の反応は、「それでも、すぐに、彼らに分け与えなさい」とか、「皆はお腹がすいているので、早速その物をお配り下さい」とかは、言われませんでした。イエスが一番最初に示した反応は、弟子たちの手にあるパンと魚を受け取ることでした。マタイ福音書の14章:17節~18節に、「ここには、五つのパンと二匹の魚しかありません」と答えたら、主イエスは、「それらの物を、わたしのもとに持って来なさい」とおっしゃいました。「まず、それらのものをわたしに」という命令でした。ここが大切なポイントだと思います。「自分にあるすべてを主のみ手に」ということです。どんなに、小さなものであり、わずかなものであっても、それを主のもとに持って行き、捧げるなら、主ご自身がそれを預かって、幾重にも祝福して用いてくださいます。しかも、有り余るほどの恵みと祝福になって、人々に行き渡るのです。
私たち人間は、「大きいか、小さいか、多いか、少ないか等、見た目で判断し、比較すること」があります。しかし、それは人間的な見方、考え方、判断です。弟子たちが、「わたしたちはここに、パン五つと魚二匹しか持っていません」と言った時、主イエスは、「それをここに持ってきなさい」と言われました。同じように、主イエスは、今日私たちに向かって、「あなたの手にあるものをわたしのところに持ってきなさい」と声をかけられます。
どうか、自分の持ち物や能力や性格に目を注ぐのではなく、ほんとうに“何もない自分”を主の御言葉に従って捧げ切ることです。自分の小さな力は何の役にも立たないという、無力感に襲われるものですが、そこで小さな善意が差し出される時、それをイエス様が大きな力に変えてくださるのです。さらに、その小さな自分を神の前に差し出すだけで、主ご自身が、その貧しき小さな者を用いてくださり、神の栄光を表して下さるのです。
神様は私たち一人ひとりに相応しい恵みを備えてくださっています。神に与えられた賜物にはすべて意味があります。どんなに小さなものであり、わずかなものであっても、感謝をこめて、弟子たちのように主イエスに差し出し、そして、主イエスから受け、自分のため、また人々のために役立てることができますように。アーメン。
< Prev | Next > |
---|