| メッセージ - C年 年間 |
「愚かな金持ち」の話を聞くと、イエスがこのたとえ話を通して言おうとすることを私たちもすぐに理解できると思います。自分が持っている財産に頼らない、しがみつきないということです。そして、福音朗読のイエスの最後の言葉にあるように、この世において富を積むのではなく、神の前で豊かになることの方がはるかに大事だということです。第一朗読のコヘレトの言葉にあるように、天の下にあるものは最終的には空しいものだからです。いくら苦労しても、結局得た財産はなんの苦労もしない人にゆずってあげなければなりません。最終的にこの世を去っていく時に、世で得たものを何一つ持っていくことは出来ないのです。
ところで、持っているモノに縛られない、モノにしがみつかないことと言えば、新潟県出身の有名なお坊さん、良寛様のことをご存知でしょうか。良寛様は、持っているものを人に与え、自分自身は質素な生活をしていたことで知られています。それでも、彼はいつも喜びを持って生きていたそうです。彼にまつわる話の中で、次のような話が有名です。
ある寒い冬の夜、ドアに鍵を書けない良寛様のいおりに泥棒が入ってきました。しかし、その小屋には持っていかれるのに価値ある物は何もないです。唯一あるとすれば、それは良寛様が寝ている布団だけです。そこで、泥棒が入ったことに気づいた彼は、わざと寝返りを打て、自分が寝ている布団を泥棒が取りやすいようにしました。泥棒はその布団を取って、出て行きました。そして泥棒が出た後、良寛様は起きて、いおりの窓からまん丸としたお月様の明かりを眺めながら、歌いました。「盗人に、取り残されし、窓の月」。なんと美しい歌でしょう。この歌には、貧しさの中にも希望を持っている彼の姿が現れています。神に信頼する人の姿、そしてどんな状況の中にも常に神に感謝する人の姿が現れています。
愚かな金持ちのたとえを語ったイエスご自身は、モノに縛られない、モノにしがみつきない生き方を貫かれました。私たちも、イエスの生き方に従っていくことができますように。そして、神に信頼を置いて、与えられたものに感謝を忘れず、喜んで日々を生きることが出来ますように。
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