メッセージ - C年 年間

きょうの福音では、主イエスがご自分の弟子になるための三つの条件を述べられています

まず、第一の条件は、「自分や家族を憎む」ということです。主イエスは、「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子ども、兄弟、姉妹を、さらに、自分の命であろうともこれを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない」と命じられたのです。ここで、注意したいのは、「憎む」という表現です。主イエスが語った「憎む(憎しみ)」には二つの意味があります。まず、一つ目は、「神への絶対的な愛」という意味です。この「憎しみ」とは、感情的な敵対を意味するのではなく、家族との関係を大切にしつつも、神への愛やイエス・キリストの教えへの従順が、より優先されるべきものだということです。二つ目は、「この世的な価値観からの解放」という意味です。この教えは、世俗的な価値観や地位、名誉、財産 等という自分の欲求や願望を優先するのではなく、神の意思に従うために、自己中心的なことを手放すことを意味します。

次に、第二の条件は、「自分の十字架を背負う」ということです。ここで注目したいのは、「自分の十字架」という表現です。つまり、重要だと思うのは、イエス様が私たちのまなざしを「自分自身」に向けるよう促してくださっている点です。あの人が、ではなく、この人が、でもないのです。他ならぬ、「この私」のあり方、生き方が問われています。要するに、「自分の十字架」とは、私たち一人ひとりに与えられている重荷であると同時に、何らかの使命であると受け止めることです。

最後に、第三の条件は、「自分の持ち物を捨てる」ということです。ここで、主イエスが語った「持ち物を捨てる」とは、文字通り物理的な財産を「完全に手放し、投げ捨てること」ではなく、「捧げる、提供する、執着しないこと」を意味します。神を唯一の頼りとし、物質的な安全や安楽に頼らないことを示します。神が不足なくすべてを与えてくださる存在であると信じ、委ねる行為です。