| メッセージ - A年 降誕節 |
今日、カトリック教会はエピファニー「主の公現」の祭日を祝います。これは光を通して救い主はすべての国々に現れるという意味です。したがって、この祭日は、すべての国民のためのクリスマスとしても知られています。今日の典礼を通して、私たちは日々の生活体験一つ一つの中で、神の存在について考えるよう招かれています。
先ほど読まれた朗読では「光を通して示される救い主の姿」について深く描かれています。第一朗読では、預言者イザヤは、栄光に輝く光としての救い主の到来を預言しました。救い主は、闇の力の中に生きていたイスラエル人に神の救いを悟らせるために来られます。信じて受け入れる者は光に至り、救いを受けることができます。第二朗読のエフェソの教会への手紙においては、パウロは神の恵みの摂理について強調します。神はパウロに、啓示によって明らかにされた救いの神秘を告げ知らせるように託されました。福音の宣教のおかげで、ユダヤ人も異邦人も、すべての国民がイエス・キリストによって与えられた救いの約束を受け継ぎ、それにあずかる者となります。福音書の中では、マタイが平和の王であるイエスを見、礼拝するために東方から学者たちが訪れたことについて説明しています。彼らは星の導きによって、ベツレヘムでの飼い葉桶に寝かされている幼子のイエスを見つけました。彼らは大喜びで黄金、没薬、乳香の贈り物を捧げ、王であるイエスへの感謝と栄誉を表しました。
今日祝う主の公現を通して、私たちはどのようなメッセージを受け取ることができるでしょうか。まず、世の光であるイエスが私たちの生きているこの今、まさに、ただ中に現存してくださるということです。イエスはその信仰を信じるすべての人を照らすために来られ、永遠の救いを見出すように、私たちを導いてくださいます。次に、光に対する私たち人間の反応です。今日の福音では、それを、イエスに出会って礼拝するためにやって来たあらゆる国の代表である学者から学ぶことができます。彼らはイエスを、破滅ではなく救いを、悲しみではなく喜びを、敵意ではなく平和をもたらす王として、謙虚に受け入れ認めています。
これらのことから、謙虚に心を開き、聖霊の導きを求め、私たちの生活の中に光としての神の存在を実現できるようになりましょう。 また、自分たちが受けた洗礼の秘跡を通して、私たち自身が、家族、同僚、共同体、日々出会うすべての人々に対して、神の存在のしるしとなることができますように。そして、神の平和、喜び、愛をすべての人が感じることができるように、共に祈り求めましょう。
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