| メッセージ - A年 年間 |
今日の聖書朗読は、キリスト者の生き方に関する重要な真理を私たちに示しています。それは、「神への真の証しは、しばしば苦しみを伴う」ということです。
第一朗読において、預言者エレミヤは神の前に自らの心をさらけ出します。彼は神の言葉を語ったがゆえに、人々から嘲られ、拒絶され、迫害されました。本来、神の言葉を届けるために遣わされた相手が、かえって彼に敵対したのです。しかし、それでも彼は沈黙することができませんでした。神の言葉は彼の内に燃える火のように宿り、語らずにはいられなかったからです。苦しみの中にあっても、彼は神から託された使命に忠実であり続けました。
今日の福音は、先週読んだマタイによる福音書における十二使徒への宣教命令の続きです。イエスが十二使徒を派遣するにあたり、弟子として生きる現実を語られます。
イエスは弟子たちに、神の言葉を宣べ伝えることが決して容易な道ではないことを前もって教えられます。「弟子は師にまさるものではない」と主は言われます。師であるイエスご自身が拒絶と苦しみを経験されたのであれば、弟子たちも同じ道を歩むことになるのです。
しかしイエスは、だからといって恐れてはならないと励まされます。弟子たちは迫害や苦しみの中にあっても、恐れることなく神の言葉を証しするよう招かれています。神はご自分の者たちを見守り、その苦しみの中にあっても決して見捨てることはないからです。
このメッセージは、私たち一人ひとりの日常生活にも向けられています。私たちの多くは、エレミヤや使徒たちのような激しい迫害を経験することはないかもしれません。しかし、キリスト者として生きる中で、信仰を証しするために何らかの犠牲を払うことはあります。正直であること、不正に反対すること、赦すこと、福音の価値観に従って生きることは、時として誤解や批判を招くかもしれません。しかし、そのような時こそ私たちはキリストの証人として生きているのです。
預言者エレミヤの勇気と、使徒たちの忠実さに倣い、私たちも恐れることなくキリストを証しする者となりましょう。預言者と使徒たちの土台の上に建てられた私たち教会は、証しする教会であり、必要であれば苦しむ教会でもあるからです。
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