メッセージ - B年 待降節

テーマ:「目を覚ましていなさい」

そのとき、イエスは言われた。「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。」(マコ13,33)

「待降節」は、神から「降りて」来られる救い主を「待ち」望む時です。旧約時代の人々は、メシアの到来を待ち望んでいました。教会は、イエス様が来るべき救い主であることを信じ、今、キリストの再臨を待ち望んでいます。イエス様は、御自分の再臨を今日の福音をもって例えています。すなわち、それは僕達が旅に出た主人を待つことに比べています。主人が帰って来る時刻が分からないものだから、イエス様は僕達に「目を覚まして、」どんな時にでも誠実に任務を果たすように呼びかけています。

旧約時代の人々は、預言者達が預言した救い主の到来を何千年にわたって待ち望んだにもかかわらず、キリストの誕生のために何も準備して来られませんでした。結局、救い主は馬小屋で生れ、ユダヤ人の王ヘロデが彼を殺そうとし、ユダヤ人の指導者達はイエスを迫害し、最終的にキリストを捕えて十字架に付けてしまったのです。

現代、私達は2千年前のキリストの到来を御降誕祭として盛大に祝います。クリスマスの時期は典礼歴で決まっていますから、私達は行事を計画してクリスマスの良い準備ができます。ところで、キリストの再臨は、思いがけない時に来ます。今がその時になったら、私達はキリストをどう迎えるでしょうか。旧約時代の人々のように冷たく迎えないでしょうか。もし、あなたの信仰は祭りごとのものであるならば、再臨が思いがけない時になり、もし、あなたが愛の奉仕の任務を日常生活の中で果たさないならば、キリストとの再会は悲しいものになります。

待降節を迎えた私達は、良く準備して、家庭、教会や社会で大いなる喜びをもってクリスマスを迎えようとします。もし、私達が神と人への奉仕をもって愛の実践の飾りを自分の心につけるならば、キリストの再臨は思いがけない時にならず、クリスマスに優る救いとキリストとの一致の喜びは、すべてを極めることでしょう。 私達は秘跡と御降誕祭の典礼の中で、キリストの再臨の喜びを、天国の先取りとして信仰の内に喜び祝うことができます。「目を覚まして」いれば、今日もキリストに出会うことでしょう。