メッセージ - B年 待降節

「マリアは言った。「わたしは主のはしためです。

お言葉どおり、この身に成りますように。」

ルカ 1:38

待降節の最後の主日の第二朗読として聖パウロのローマ人への手紙の最後の言葉が読まれます。パウロは、読者の心に信仰を起こすために、この手紙の中で福音、すなわち神の秘められた計画を伝えたと書きました。ローマ人への手紙の中にパウロは、幸せになろうとして、人間的な知恵に頼る異邦人たちの姿と、律法にかなう自分の行いに頼るユダヤ人たちの姿を描いてから、両者の努力が無駄であると述べます。幸いに、人間に出来ないことが沢山あっても、「神に出来ないことは何一つありません。」

パウロが伝えた福音とは、神がイエス・キリストにおいて、預言者たちをとおして与えてくださったすべての約束を成就し、すべての人々のための救いのわざを成し遂げてくださったということなのです。神は、人間の最高の幸福となるこの救いをすべての人に与えたいと望んでおられるので、今パウロの言葉によって、この賜物を受けるようにと呼びかけておられるのです。救いにあずかるために、この呼びかけに応えて、神の賜物を受け入れる必要があります。それは実際に、自分自身の力だけで自己を救おうという無駄な努力をあきらめて、神の導きに従って生きるということを意味します。それは、人間が神を信じているとき、つまり自分や他の人よりも、神を信頼しているときだけ可能なのです。

イエスのお母さんとなったマリアは、そのような信仰に基づいた生き方の最も完全な模範を示しています。マリアは、自分の理性や善行よりも、神の知恵と神のいつくしみ深い愛に頼って生きていました。マリアのように、私たちが心を開いて、聖霊を受けるとともに神の愛と神の命を受け入れるならば、私たちは、大きな喜びと平和に満たされるだけではなく、神は私たちの中で、または私たちをとおして、偉大なわざを成し遂げて、多くの人を生かしてくださるに違いないのです。