メッセージ - B年 祭祝日

テーマ:「生きることば」

「言は肉となってわたしたちの間に住まわれた。」。(ヨハネ1,14)

「ことば」は三つの方法でわたしたちに伝えられていると思います。それは、「話すことば」、「書くことば」と「生きることば」という三つです。「話すことば」は、人間の交わりの最初の段階です。その交わりの中で人は互いのことを理解したり、また、誤解されたりします。「書くことば」は、書かれたメッセージを何ども読みなおすことができ、理解と感性を深めることもできます。「ことば」は人間にとって不可欠なものです。しかし、人間のことばは、人を生かし、また殺すこともできます。福音は、人を生かす「ことば」は受肉なさった神の子イエス・キリストのことであると言います。

神のことばの場合は、同じようです。神は、多くの預言者達を通して語られたが、聴く耳のある人が少なく、誤解されたことも沢山ありました。キリストの誕生の御告げも、聴き入れたのは、聖母マリアと羊飼い達だけでした。

神様が残してくださった「書くことば」とは、聖書であり、神と人間の間に契約を結ばれる証拠です。わたしたちは、聖書で神のことばを学び、黙想し、それを守るなら、神と共に生きることになり、守らないならば、罪によって神との契約を破ることになります。

「生きることば」は、ベツレヘムの馬小屋で産まれ、飼い葉桶に寝かせた神の子、イエスキリストのことです。この「ことば」は受肉されるほど、わたしたちを愛し、共にお住みになることをお望みになりました。産まれる時からその死と復活まで、キリストの人生は、わたしたちのための「生きることば」であり、御聖体の内に肉と成った「言」はわたしたちを生かす糧となります。だから、「生きることば」は、代々にわたって、わたしたちの一人ひとりの内に受肉して誕生します。これは、愛の内に神と一つに結ばれたわたしたちの人ひとりの人生です。わたしたちが、「ことば」をもって人を創って生かすならば、神の子、キリストは、わたしたちの内に生きている証です。

私の神学生時代に、ことばの達者であったプロテスタントの神学者Karl Barth(カロロ・バルト)の神学を学んだことを思い出します。何百冊の本を出版したこの神学者は、ある講演会の後に次のような質問を受けました。「先生のすべての神学的洞察の中で、一番大きな発見は何ですか」と。博士は少し考えて、そして微笑んでいながら、教会学校で子供達が歌う聖歌の歌詞を用いて答えました。

「これだけを、私はよく知っているよ。

イエス様は私を愛していると。

なぜなら、福音は私にそう教えているよ。」と。