釈義 - B年 祭祝日

第一朗読(民数記6・22-27)では、主がモーセを通して、祭司たち(アロンと    その子ら)に対して、イスラエルの人々を祝福するように仰せになられる。この祝福は当然のことながら、主とイスラエルの民との間の契約に基付く「祝福と呪い」の祝福であろうが、その主は仲介者モーセに御自分の名を『あってあるもの』と啓示された。この祝福はイスラエルの民だけではなくすべての民へと及ぶ普遍性を排除しないゆえんである。そのことをパウロは、第二朗読(ガラテヤ4・4-7)で次のように述べている。時が満ちると、神は律法の支配下にある者を贖い出して、神の子とするために、御子を女から生まれたものとして遣わされた。わたしたちは、奴隷ではなく、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を受けた相続人でもあるのだと。もちろん、イスラエルの人々だけではなく、すべての人である。福音書(ルカ2・16-21)では、天使たちの不思議な話を羊飼いから聞いたマリアが、すべてを心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは神をあがめ、賛美しながら帰って行き、幼子は八日たって割礼の日を迎えたときイエスと名付けられたと述べられている。神の救いの意思を成就する「イエス」・「神のみことば」を聴き、受け入れ、育むマリアの姿と生き様は、「ゆるし」と[和解」と通してのみ実現する世界の平和への道標となっている。