釈義 - B年 年間

第一朗読(サムエル上3・3b-10,19)では、少年サムエルへの主なる神からの呼びかけ(召命)の場面が描かれている。サムエルのみならず、わたし達はみな、それぞれの存在(からだ)と命を通して、神からの呼びかけを受けている。神は今も、わたし達一人ひとりの名を呼んでおられる。そのことを、パウロは第二朗読(1コリント6・13c-15a,17-20)で、次のように述べている。体は主のため、主は体のためであり、神は主を復活させ、その力によってわたしたちをも復活させてくださる。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、もはや自分自身のものではなく代価を払って買い取られたのだから、自分の体で神の栄光を現しなさいと。その現し方の多様性の中に、召命の多様性も存するのであろうか。福音書(ヨハネ1・35-42)においては、洗礼者ヨハネの二人の弟子が師ヨハネの「見よ、神の子羊だ」との導き通リ、イエスに従う様が描かれているが、その内の一人アンデレの証言「わたしたちはメシアに会った」を通して、シモン・ペトロとイエスの出会いと召命が実現する。このように、わたし達の父である主なる神からの呼びかけは様々な人々やできごとを通して成される多様なものであることを今日のみことばは証している。