メッセージ - B年 年間

「ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。」ヨハ 1:35-37

神の指示に従って、ユダヤ人たちは神に小羊や他の動物をいけにえとして捧げていました。このように、神を礼拝したり、いただいた恵みに感謝したり、新たな祝福や犯した罪のゆるしを願ったりしました。これは、そのとき神が定めた、人間の神との絆を深める交わり方法であって、神が求めた交わりのための準備でもあったのです。残念ながら、時が立つにつれて、この儀式は人の心の状態と何の関係もない形式的なものになりました。そのために、人々はそれを行うことによって神に近づく代わりに、神から遠ざかっていったのです。

洗礼者ヨハネは、イエスを見て、彼が「神の小羊」であると宣言しました。「神の小羊」というのは、神が人類に与える捧げ物であるという意味であったでしょう。要するに、イエス・キリストこそ、神が全人類に近づき、すべての人々と交わる新しい方法で、しかも神ご自身が求めた完全な方法であるということです。

残念ながら、この賜物を喜んで受け入れる代わりに、多くの人々はイエスを十字架に付けて、殺してしまったのです。もし、人類の歴史がその瞬間で終わったならば、神に近づく希望は完全になくなったし、人類は永遠の死に定められたことになったに違いありません。幸いにイエスは、自分を十字架につけた人々のためにゆるしを願ってから、自分の命を神に捧げました。それによって、イエスはこの最も大きな罪を完全な奉献に変えたわけです。この奉献のおかげで、神との親しい交わりだけではなく、神の命にあずかることも、神の子どもになることも可能になったのです。

イエスのいけにえの実りにあずかるために、つまり神との愛の交わりに生きるために、私たちは、イエスの最初の弟子と同じように、イエスの呼びかけに応えて、イエスと絆を結び、親しい交わりのうちに生きるだけで十分なのです。