釈義 - B年 年間

第一朗読(申命記18・15-20)では、モーセがイスラエルの民へ、主なる神からのことばを伝える。「わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける。」その預言者は主なる神の命じることのみを語らねばならない。また、それに対して聞き従わない者にたいしては、その責任を追及すると。そのことと直接関連するわけではないが、パウロは第二朗読(1コリント7・32-35)で、差し迫った世の終わり(終末と主の再臨がすぐ来ると固く信じている)に対応するという意味で、次のように述べている。主のことと世のことに心を遣うならば、心が二つに分かれてしまうと。しかし、これはすべてのことよりも、あるいは、すべてのことを通して、わたし達がひたすら主に仕えるようになるためのパウロの配慮である。福音書(マルコ1・21-28)においては、モーセのような預言者の一人とも見なされたイエスの権威はモーセのそれをはるかに超えるものであることが描かれ、証しされている。会堂に入って教えられ始めたイエスのその教えに人々は非常に驚いた。なぜならば、他の律法学者のように仲介者モーセを通して与えられた律法の権威に依って教えられるのではなく、あたかも父なる神から直接与えられたかのような権威をもって教えられたからである。実際、そのことばは、命じた通リに実現する神のことばであった。