メッセージ - A年 待降節

テーマ: 「イエスはその人たちの信仰を見た。」(マルコ4,5)

中風の人を癒して頂くために四人の男は、床を担ぎ、群衆に阻まれ、屋根に登ぼり、穴をあけたり、病人をつり降ろしたりして、様々な障害を乗り越えて、病人をイエス様のもとに運んで来ました。ところで、イエス様は病人の体を診たのではなく、四人の信仰を見たのです。中風の人の病気を治そうとするのではなく、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われて、イエス様は先に心の麻痺を起す罪を取り除いたのです。これを信じない人に対して、心の癒しを証明するために、キリストは中風の人に、「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」と言われて、その病気を治したのです。これを見た群衆は、信仰を深めて神様を賛美しまた。治った病人は、その時まで彼を運んでくれた床を背負って、自分で運ぶようになったのです。

私達の罪からの救いは、イエス様が中風の人を癒すようなものだと思われます。罪人は、中風の人のように自分で立ち上がることができず、自力でキリストに近づくこともできません。赦すことを知らない群衆のように世間は、彼を無視して場合によって酷く扱うために癒されないような妨げとなります。

福音の四人の男は、キリストを信じる共同体である教会の象徴となります。教会は、信仰から生まれる祈りと愛の実践を持って、キリストへの道を妨げる障害を乗り越えて、罪人をキリストのもとに連れて行く力があります。キリストは私達の罪ではなく、教会の信仰を顧み、私達の罪を赦し、心に平和をお与えになります。

教会の中で大切なのは、中風の人を担いだ四人のように、私達の生きる信仰が多くの人にキリストへの道を開き、キリストの救いについての証しが、多くの人々の心を神様への賛美と信仰の喜びで満たすことです。又、病気を治して頂いた中風の人を運んだ床を、彼は自分で運ぶことになったように、罪を赦された者は、積極的にキリストの言葉に従って、以前犯した罪を償いながら御父の家に前進するように呼ばれています。