メッセージ - B年 四旬節

テーマ:「これは、わたしの愛する子、これに聞け。」(マルコ9,)

イエス様は、救い主としての使命を持ち、御変容なさる前に、御自身が「多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている」(マルコ8,31)という御父の救いの計画を弟子達に教えて下さいました。しかし、それは使徒ペトロの持ったイエス様に対する期待と異なっていました。故に、使徒ペトロは、イエス様の言うことを聞き入れられないばかりでなく、イエス様を諌めて御受難を受ける考えを思い止まらせようとしました。

その後、今日の福音の中で記されているように、キリストは三人の弟子達と共にタボル山に登られ、彼らの目の前で御変容なさって、神の子としての栄光を現しました。その栄光の中でイエス様は、旧約時代の代表者、モーセとエリヤと、御自分の死と復活を通して成就される律法と預言者によって約束された救いについて語り合っておられました。この時も、使徒ペトロはイエス様の言うことを聞くことなく、口を挟んでその対話を邪魔しました。彼は、イエス様と出現した預言者達のために幕屋を三つ建てて、キリストの栄光をこの世の次元の楽しみに下ろしたいと思ったのです。

その時、弟子達の頑な心に対して、天の父は彼らを恐怖の雲で覆い、戒め、「これはわたしの愛する子。これに聞け。」(マルコ9,7) と言われて、人間が神の子であるキリストに無条件聞き従うべきということを断言しました。「弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはや誰も見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた」(マルコ9,8)ということは、キリストのみが神からの救い主であると示されたことでしょう。

四旬節の時である今、御父は私達にも同じようなことを求め、教会の典礼を通して一人ひとりの「心の変容」を期待しておられます。いわゆる、私達がキリストについて自分達の勝手な考え方を捨てること、世俗的な風潮に左右されずに、キリストの神秘体である教会の救いの使命を忠実に果たすということです。私達に必要なのは、ただ神の啓示である御父の愛する子に良く聴くことによって、キリストと共に罪に死に、キリストの愛を持って、その復活にも与るという個々の心の変容なのです。