釈義 - B年 四旬節

第一朗読(出エジプト20・1-17)では、モーセを仲介者として、エジプトの奴隷状態から救い出されたイスラエルの民に「十戒」が与えられる。これは、独立して存在するのではなく、イスラエルの民と彼らを救い出した神との間で交わされる、契約のもとに、イスラエルが守るべき掟を集約したものである。これらの戒めを守るならば、祝福が与えられ、破るならば、呪い(懲らしめ)が与えられる。結果的に、イスラエルは神に対して忠実ではなかった。しかし、神はイスラエルを見捨てることなく、むしろ、その救いの意志をイエス・キリストを通して成就されようとされる。しかも、それを、第二朗読(1コリント1・22-25)で述べられているように、ユダヤ人にはつまずき、異邦人には愚かなものである、十字架につけられたキリストというかたちで成し遂げられようとなさった。福音書(ヨハネ2・13-25)においては、そのイエスの体を神殿にたとえて、壊しても三日で建て直すと言われている。これはもちろん、イエス・キリストの受難・死(十字架上の)・復活のことを言っているのであるが、彼のみではなく、彼を信じて生きる人間(神のかたどりとして造られた)すべてがそこへと招かれているのである。