釈義 - B年 四旬節

 

第一朗読:    歴代誌下36,14-16.19-23

歴代誌下の著者は「なぜエルザレム神殿が壊されたか」と「なぜバビロニア捕囚の時代になったか」という質問に答える時、ユダヤ教の信者の無信仰と不正義的なやり方が理由であるということを示した。しかし、ペルシヤの王クロスの命令(バビロニアに入るユダヤ人たちはエルザレムへ戻ることができる)が歴代誌下の著者にはイスラエル国民を救うための神の業だと捉えられた。

第二朗読:    エフェソ2,4-10

キリスト者にとって救いは神の業である。救いは、信仰によって神からただで貰った恵みである。このただの恵みの泉は神の愛である。人間に対する神の愛の形は、イエスを使って行った業である(受難と復活)。

福音朗読:    ヨハネ3,14-21

人間に対する神の愛に限りはあるか。福音者ヨハネは、神の愛には限りがないと考えた。神が自分の御子をこの世に送る理由は、事実の証明ではなく愛であった。神が自分の御子をこの世に送る目的は、裁きではなく救いである。