メッセージ - B年 復活節

「わたしは善い羊飼いである。善い羊飼いは羊のために命を捨てる。」(ヨハネ10:11)

遊牧人であったイスラエル人は、羊を自分の生活のために飼っていました。羊のミルクは渇きを癒す飲み物となり、ミルクを材料にしてバターとチーズを作り、羊の肉も栄養ある食べ物となります。羊の毛を使って着物を編み、寒さをしのぐために毛皮で上着を作り、羊の皮を組み合わせて幕屋と言われる「住まい」を作りました。草しか生えない荒れ野で、羊はイスラエル人の生活を総ての次元で支えていたということです。

悪い羊飼いは、羊の命を心に留めず、自分の収入だけを考え、羊によってどれぐらい設けがあるかを数えて、自分の利益、富とぜいたく、社会的な地位をばかり求めています。善い羊飼いは、自分の利益ではなく、羊達を共存するものであると考え、安全に生き、成長して大きな群れとなることを喜びとします。このような羊飼いは、自分の羊を知り、名を付けて、命がけで守り、牧場に導き出して養います。羊達を自分の人生の仲間として見なすのです。

キリストは、善い羊飼いであり、私達は神の民、その「牧場の羊」として例えられます。キリストの者になった私達は、霊名を頂き、善い羊飼いであるキリストは、私達を知り、その名で呼ばれます。神の子は人となって、教えを持って神に向かって導き、命がけで悪から守ります。イエスは、十字架上で私達の罪ために身代わりになって、いけにえの小羊のように命を献げ、その体を私達に永遠の命の糧として与えて養ってくださいます。

その無償の愛に答えて、イエス様の羊の群である私達は、どのような心を持って生きるべきかを考えさせられます。私達はイエス様の愛の心に憧れて自分の内にイエスの御心が生きるように望むべきだと思います。