メッセージ - B年 復活節

「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。(ヨハネ15,11)

イエス・キリストは、私達が喜びに満ちる人生を送るように望んでおられます。この世の中で心をごまかすために楽しみがいっぱいありますが、イエス様は御自身が生きておられる真の喜びが私達の心を満たすことを望んでおられます。キリストの喜びは、どんな特徴があり、また、その源はどこにあるのでしょうか。上に引用された言葉は、イエス様の御受難を受ける前、最後の晩餐の時に弟子達に語ったものです。死を直面するにもかかわらずキリストは、何故心の中で大いなる喜びを保つことがお出来になったのでしょうか。

世間的に見ると、キリストが地上の人生の中で喜ぶ理由はあまりありませんでした。神の子でありながら、家畜の住まいである馬小屋で産まれ、30歳までその生活についてあまり知られていません。宣教の働きは、たった3年間でした。病人を癒したり、死者を生き返させたり、悪霊を追いはらったり、言葉にも行いにも神の愛を実現しても、ユダヤ人から試されたり、批判を受けたりして、弟子達までも、キリストを裏切ったのです。その最期は、鞭打ち、茨の冠、十字架の道行き、受難を受けて最大な犯罪者の間で十字架上でお亡くなりになったのです。

本日の福音が語っているように、イエス様の変わらぬ喜びの源は、愛の内に御父との一致の神秘です。この愛は、キリストの生涯に大いなる喜びを与えます。神は人としてお産まれになった喜びは、キリストから全世界に今も広がりつつあり、イエスが宣べ伝えた福音が小さい人々に受け入れられたのは、キリストの大いなる喜びに繋がり、人に仕える愛と十字架上で友のために命を献げる最大の愛は、罪と死に打ち勝つ勝利の喜びとなり、御復活の喜びによって完成されます。

この地上において、私達も様々な試練や悪に直面することもあります。御父の愛で心を満たし、キリストとの一致の喜びを見出し、キリストの心を持って生きることは、信仰の喜びで満たされる帰結です。