釈義 - B年 復活節

第一朗読:使徒10,25-26. 34-35. 44-48

ユダヤ人によれば人間は二つの種類に分けられる。それは「われわれ」と「異邦人」である。ユダヤ人は異邦人と関係を作る(例えば、結婚する)ことが禁止であった。理由は宗教、習慣や人生の目的であった。始めに、イエスを信じている人々はあるユダヤ人であったがだんだん異邦人の 人々もイエスを信じ始めた。だから、キリスト者のグループにとってユダヤ人と異邦人の関係の問題を考え直すことは非常に大きなチャレンジだった。ユダヤ人ではない人々は直接キリスト者になれないと思っている人々が多かった。彼らは異邦人がキリスト者になるためにまずユダヤ教の信者になるはずだと思っていた。この考え方どおりにならなかったことは神の業のおかげである。イエスを信じている異邦人がイエスを信じているユダヤ人と同じ聖霊の恵みを貰った(使徒10、44-46)。この徴によってペトロと他のユダヤ人の考え方が変えさせられた。

第二朗読:一ヨハネ4,7-10

神はすべての人間を愛する。ユダヤ人も、異邦人も神に愛される者である。この愛の徴はイエスによって行われた救いの業である。神の愛は我らの愛の泉である。人間は神に愛される者だからお互いに愛することができる。

福音朗読:ヨハネ15,9-17

福音者ヨハネによれば神は愛である。神は人間を愛する。この愛の徴がイエスである。すべての人間にとってのイエスの愛の徴はイエスがすべての人間を救うために自分の命を捧げたことである。キリスト者は愛される者として神を愛するはずである。神を愛するというのはイエスが教えた掟を守ることである。