メッセージ - B年 祭祝日

「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれを裂き、弟子たちに与えて言われた、「取りなさい、これはわたしの体である」。(マコ14:22)

十二使徒伝承(資料)の中で、御聖体(エウカリスチア)について次のような表現があります。

「キリストの御体に聖変化される一つのパンは、

多くの小麦の粒から生まれて来ます。

キリストの御血に聖変化される一つのぶどう酒の杯は、

搾られた多くのぶどうの実から生れて来ます。

多くの粒を結んでいる一つのパンのように

献げる愛は私達を一つに結んでくださいますように

このぶどう酒の杯が多くの滴を結んでいるように

キリストよ、教会の内に私達を一つに結んでくださいますように。」

最後の晩餐の時にキリストが御自身の体に聖変化された一つのパンは、小麦から作られたものです。小麦の穂は鎌で切り落され、陽に打たれて乾かされ、脱殻場で連打され、その粒を石臼で潰されて粉々にされます。そして、人は出来た小麦粉を捏ねて発酵され、焼いてパンを頂きます。ぶどうがぶどう酒になるように、その実も踏みつぶされて搾られ、発酵されて飲み物となります。

イエス・キリストがパンとぶどう酒を選んで御自身の存在をこれらに秘められたのは深い意味があると言います。イエス様も、多くの人に踏みつけられ、体を縛られて、叩きつけられ、鞭打たれ、十字架に釘付けられ、陽に打たれて渇かされ、槍で貫かれました。キリストは一粒の麦となって命を落とし、私達のために永遠の命の糧となりました。このように示された神様の愛が最後の晩餐の再現である御ミサの中で聖変化されたパンとぶどう酒の内に秘められ、御体と御血によって養われている私達は、キリストの御受難に与り、その復活の命を宿るキリストの神秘体である聖なる教会となります。

御聖体の秘跡の内にキリストから最大の愛と永遠の命を頂く私達は、教会の中で一致の喜びで満たされているでしょうか。キリストの御手の中で聖変化される一つのパンとなるために、私達も一人ひとりが先に、「キリストの小麦の粒」となる必要があることでしょう。