メッセージ - C年 年間

「イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。ルカ 7:48-50

 

恐らく、どんな人でも自分が良い人であると他の人に思ってもらいたいし、何よりも、自分自身が自分のことをこのように考えたいのではないかと思います。けれども、良い人とは、どんな人なのでしょうか。

恐らく、多くの人にとって良い人とは、ファリサイ派のシモンが考えたように、悪いことをせずに、正しく生きる人、もっと具体的には、他人に害を与えない人、法律や他の決まりを守る人ではないかと思います。このように考えている人々は、人の行いを基準にして人を評価するわけですので、自分たちのように「良い人」になっていない人を批判したり、軽視したり、差別したりすることがあります。多くの場合、それは、傲慢の現れになっていますが、時に、それは、自分の「良さ」に対する疑問や不安を現すものにもなっています。自分よりも大きな悪を行っている人を批判したり、差別したりすることによって、自分の「良さ」を強調して、自信を付けようとしているわけです。

イエス・キリストは、ご自分の言葉と生き方によって教えてくださったように良い人とは、悪いことをしないだけではなく、他人のために善いことをする人、つまり愛に生きる人なのです。その意味での正しい生活は、人間の努力の結果ではなく、愛そのものである神、と同時に真の愛の源である神との正しい関係の結果なのです。

真に良い人になるために、他の人に害を与えないだけではなく、他人のために善を行うように全力を尽くす必要がありますが、同時に、自分の限界、また場合によって自分が悪かったことや正しい生き方を妨げる自分の執着、不安、恐れなどのような束縛を認めたうえで、父である神に心を開き、神の無条件の愛と共に、神ご自身を自分の人生に受け入れなければならないのです。