メッセージ - C年 年間

「収穫は多いが働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように収穫の主に願いなさい。」(ルカ10:2)

農業の機械化のために、神の国についてキリストが語ってくださった「収穫が多いが働き手が少ない」の例えを、現代社会は充分に理解できない可能性があります。私の両親の実家は農家でした。親の話しによりますと、昔の農家は機械がないために、収穫の期間に手作業を行う働き手が大勢必要とされていました。お金がなくても、多くの子どもに恵まれた家族は幸せでした。家族の皆は自分の汗をかきながら鎌で切った麦の穂を胸に抱いて束を結い、乾かした藁に刺されて血を流しながらもそれを蔵に納めていました。力を合わせて労苦して得たパンは特別の味をもっていました。そこに注がれた一人ひとりの心からの犠牲と愛によってそれぞれの家族が命と平和をもたらし、家庭は感謝と喜びの内に生きることができたのです。

私たちのために注がれる神様の恵みは収穫に例えられています。その恵みは、キリストが受肉して、汗と血をながして死に至るまで私たちを愛し抜かれたこと、御復活によって私たちに永遠の命をもたらしてくださったことです。神の民である教会は、すべての人々のためにその恵みを「収穫」する使命があります。収穫のできた印は、キリストの平和の実現です。イエス様は神の国を宣べ伝えるために七二人を派遣するに当たって、「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』」と言わせました。現在もキリストは御自分の祭司職に、秘跡的に与るように呼ばれた司教、司祭たちが神の恵みの分配者です。誓願をもって自己を奉献する修道者たちは先頭に立って神の民全体と神を求める全ての人と共に、神の栄光と人々の救いのためにその恵みを刈り取る任務があります。

私たちの信仰生活が機械的になったり、また、農夫が麦の穂を刈り取るように、神の恵みを自分の胸に抱き、汗と血を流して心に納めるのでなければ、私たちにはキリストの願う平和が訪れることなく、神の国の一員となることもできないことでしょう。現代教会も神を愛して慕い求め、主の御言葉を胸に納め、キリストに憧れて、自分を尽くしていくものとなるように祈りましょう。