釈義 - C年 年間

第一朗読:シラ35,15b-17.20-22a

シラ記の著者によって迫害を受けた人や傷を負った正しい人、つまり神を信頼する人、の祈りは神に届く(35,16-17)。困難に生きている人は一人で苦しんでいるわけではない。神は彼を見て慰める(35,18)。悪いことをする人をたおすのは人間ではなく神である(35,20-21)。すべての悪に終わりがある。神はすべての人間を裁く(35,22)。良いことをする人は良いことが与えられる。悪いことをする人は悪いことが与えられる。良い心を持っている人は救われる。悪い人は罰を受ける。

第二朗読:二テモテ4,6-8.16-18

パウロは解放される可能性が無いということが分かった時 (4,6)、自身の人生を熟考する(4,7)。イエスの福音のために自分の人生を捧げたパウロは神から行いどおりの栄冠を受けるという強い自信がある(4,8)。人間の力のおかげではなく(4,16)神の恵みによって強められたパウロは自分の弁明が出来た(4,17)。神は自分の僕を誘惑から守って天国へ受け入れる(4,18)。この考え方は困難の時におけるパウロの力の源であった。

福音朗読:ルカ18,9-14

この譬えは自分が他の人よりもっと良い人であると思っている人に対して言われた言葉である。良い行いをする目的は自分の誇りのためではなく神の御旨を行うためであるはずである(18,11-12)。パリサイ人の間違いは自分が他の人よりもっと良い人物だと思うことであった。この人は自分の真実のこと(罪を犯す場合もある人であるということ)が理解できず、取税人、つまりユダヤ人の社会の中において最も罪深い人、よりは良い人だということで彼にとって十分であった。