釈義 - C年 年間

第一朗読:二マカバイ7,1-2,9

紀元前二世紀にギリシア語で書かれたマカバイ記は、ヘレニズムの時代にセレウコス王朝の王アンティオス・エピファネスに反対するマカバイの家族から始まった戦争に関して書かれている。王エピファネスの命令により、セレウコス王国にいる人々は同じ文化、同じ宗教に従わなければならなくなった。つまり、ユダヤ人も自分の宗教と文化を捨てることを強いられた。王の命令に従わない者は死刑にされた。第一朗読の言葉は信仰を守るために自分の命を捨てる母と七人の息子の話を伝えている。信仰を守るために若い命を捨てた息子たちが神からどんな対価を貰うのかという質問に答えるように、二マカバイ7、14に体の復活の教えがある。二マカバイ記の著者は体の復活を信じた。

第二朗読:二テサロ二ケ2,16‐3,5

二テサロニケの信徒への手紙が書かれた理由はイエスの来られる日についての誤った教えを正すことであった。この終末論的な問題についてパウロは一テサロニケ信徒への手紙(一テサ4,13-5,11)に正しい説明をしたがある人は「イエスはもう来られた」という間違った教えを述べ伝えた(二テサ2,1-4)。この教えは誤ったものであるということが示され、テサロニケの信者たちが正しい信仰を守ることが出来るように、神がいつもテサロニケの信者たちを守るという慰め的な話をした(2、16-17;3、3)。

福音朗読:ルカ20,27-38

福音書の言葉は体の復活という主題に関する言葉である。イエスの時代にあるユダヤ人達は体の復活を信じた(ファリサイ派)が、ある人々は信じなかった(サドカイ派)。イエスとサドカイ派の人々の議論は珍しくないことであった。今日の福音書の最も大切な言葉は「生きている者の神です。というのは、神に対しては、みなが生きているからです」である。この表現はこの世の命に対しての言葉というだけではなく、永遠の命と関わっている。