メッセージ - A年 待降節

テーマ:新エルサレムの住民

第一朗読:           イザヤ 2,1-5

第二朗読:           ローマ 13,11-14a

福音朗読:           マタイ 24,37-44

ナザレのイエスの行い、すなわちイエスの受難と復活によって、すべての旧約聖書の約束が実現された(ルカ24,44)。したがって、イエス・キリストを信じる人々は、救いが近づいてきた時期に生きているのである(ロマ13,11)。まだ救い主を待っている期間に存在する人々ではなく、救い主が現れた時、すなわち神の国や新エルサレムの時期になった時にキリスト者として生活しているのである。だから、これまでの生活の仕方、すなわちさまざまな良くない部分が多い生活(ロマ13,13-14)を捨て、神の御旨に従う信者として良い行いをするはずである(ロマ13,12)。キリスト者になった人々はユダヤ人だけではない。全世界の様々な国と国民もキリスト教の道を選んだ。現代のキリスト教の状況を見れば、すべての大陸に、そして多く国にキリスト者がいることがわかる。たしかに預言者イザヤの言葉が真実となった(イザ2,2-3)。様々な国から多くの民が、信仰する神に礼拝するため、エルサレムに集まった。エルサレムというのはこの世のエルサレムではなく、新エルサレム、または天のエルサレムと福音者ヨハネの黙示録で呼ばれる天の国の都である。この新エルサレムは他の町より高く立ちすべての人間の旅の目的になる(イザ2,2)。それは終わりの日に行うことである。今、この日を待っているときに、良いイエスの信者になるべく、自分の弱さと戦うのが私達の義務である(ロマ13,12)。