メッセージ - A年 年間 |
テーマ :いつもみ旨にかなうよう導いてください
第一朗読:イザヤ8,23b-9,3
第二朗読:一コリント1、10-13.17
福音朗読:マタイ4,12-23 (または4,12-17)
第一朗読は慰めを含んでいる。第一イザヤ(イザ1-39)はアシリア帝国に破壊された北王国(イスラエル王国とも呼ぶ)の市民(イザ8,23)が将来に対して希望を失わないように、苦しい時代と迫害の時代がいつ終わるかという言葉を伝えている。また、将来に北王国の市民に栄光を与えることが神の業である(イザ8,23)ことを述べている。イサヤの目はその日を見ることはなかったが、彼は心の中にその日が来るということを強く信じていた。士師時代に、この信仰のおかげでギデオンはミディアン人を敗れた(イザ9,3)。しかし、彼の言葉はバビロニア時代まで誰にも認められなかった。
第二朗読では第一コリント信徒への手紙を書く理由が示される。コリント市にある、様々な宣教師の宣教活動によって創立された現初キリスト教の、様々な家庭教会(Household churches)の信者達は、一つの共同体らしい関係を作ることができなかった。キリスト者になるまでに慣れ親しんだ習慣や考え方などに固執している人々は、共同体の愛(アガペ)の掟に従う代わりに、まだ偏見や社会的格差や競争することなどを共同体の関係の基盤として守った。キリスト者らしくない生活をするコリント市の信者達は、パウロから厳しい警告を受けた。パウロの教えによれば、すべての宣教師は、福音を述べ伝えるためにイエスによって送られた方々であり、イエスの僕である(1コリ1,17)。この警告を受けて自分のやり方を直すどころか、コリント市の信者達はパウロの教えを無視した。それはパウロとコリント市の信者達の関係悪化の原因になった。
マタイによれば、イザヤの預言(イザ8,23-9,3)はイエスによって成就された。マタ4,15-16の言葉はイザ8,23-9,3からの引用文である。マタイによれば、イエスはガリラヤに与えられた栄光であり、ガリラヤの栄光である。「ガリラヤに与えられた栄光」というのは、イエスが行った神の業(マタ4,17.23)のおかげでガリラヤ地方の人々が慰められたということである。「ガリラヤの栄光」というのは、ガリラヤから出たナザレのイエスがメシヤ(救い主)になったということである。イエス様よりもっと偉い方がガリラヤ地方から出てこなかった。
< Prev | Next > |
---|