メッセージ - A年 復活節

 

「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしが父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいてくださる。」(ヨハネ14,15-16)

 

最後の晩餐の時に、イエス・キリストは弟子たちとお別れをしますが、彼らを孤児にしておかないと約束してくださいました。福音によりますと、御父のもとから聖霊をお遣わしになります。キリストは聖霊の内に弟子たちの所に戻って来られると、御父がキリストの内におられ、キリストが私たちの内におられ、私たちがキリストの内にいることになります。結局、私たちである教会(ギリシア語でキューリアケ=主に属するものの集い)は、至聖なる三位一体の交わりの中に加えられることになります。

神様が唯一でありながら、三つのペルソノナ(位格)で、私たちは父と子と聖霊を信じています。神はすべての創造と命の源であり、人を御自身の似姿に創って御自分の子にしようとするから、「父」です。この神様は人を罪と死から救うために乙女マリアから救い主キリストとしてこの世にお生れになって、私たちと共にお住みになったから、「子」と呼ばれます。同じ神様は「聖霊」として私たちの内に生きるようにしてくださいます。イエス様は、この方を「弁護者」と呼び、ギリシア語の原文では「パラクレテ(Paraklete)」と言います。

「パラクレテ」は、「傍に呼ばれた者、人のために弁護する者」という意味を持っています。世間でも罪を犯した人、また罪を犯さなくても罪と見做された人は、弁護士を呼びます。弁護士は罪に問われている人が無罪であると主張します。罪を犯さなかった場合、容疑者の無罪を証明し、その人を社会復帰するようにします。もし、容疑者が本当に罪を犯したならば、弁護者は罪を隠すという役目ではなく、悪い状況の中で事件が起ったから本人を無罪にするように、また罪があったとしても、その罰を最小限にとどまるように働きかけ、容疑者が正しい道を歩むように未来を開くようにします。この意味で弁護者である聖霊は、人が罪のために罰を受けないように御父にとりなし、過ちを正し、罪を清めて人を聖化し、共にいて力付け、神の賜物で満たして愛の道を歩むようにしてくださいます。

以上の恵みが私たちに約束され、与えられています。それは、三位一体の神様が私たちを無条件に愛してくださるからです。イエス様の心配は、「世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。」(ヨハネ14.17)ということです。聖霊を受け、救いに与り、三位一体の交わりの中で生きるために一つの条件があります。それは、私たちがキリストの内に神様を愛し、キリストの愛の掟(私があなた方を愛したように互いに愛し合いなさい)を守ることです。