メッセージ - A年 年間

 

テーマ:「自分の十字架を背負って、私に従いなさい」

本日の福音の中で、イエス様は弟子たちに、御自身が人々から排斥され、苦しみを受けて殺され、3日目に復活することを予告します。いつも、キリストと共に歩んでいた十二使徒は、それを聞いて、危険を感じました。キリストがこれから進もうとされる死の門を通じる道を自分たちはついていけないと思っていたので、使徒ペトロはイエス様に「そんなことがあってはなりません」と注意します。そのために、イエス様はペトロをサタンと名付け、神様の思いを邪魔するものであると言い、その心を持つなら、御自分からさがるように命じました。

ところで、私たちは何故、教会に来るかを意識の確認をする必要があります。教会に来る理由は様々でしょう。それは、キリスト者だから御ミサに行かないと罪悪感があり、天国に行けない恐れの理由、信者の仲間に会える理由、荘厳な儀式に与って綺麗な聖歌を歌いたい理由、説教が聴きたい理由などです。私たちの信じる心の奥には、秘跡の内にキリストと一つになる喜びを望み、キリストの弟子になりたいのです。福音の十二使徒は、私たちの考え方とそんな変わっていなくて、キリストに従う意味を理解しなかったです。

イエス様は、この時点で御自分の弟子となる条件を皆に言い渡しました。その条件は、自分を捨て、自分の十字架を背負ってキリストに従うということです。なぜなら、自分の命を救いたい者はそれを失い、キリストのために命を失う者はそれを救うからです。ここで、私たちは、自分の十字架とは、何であるかと断定し、十字架を担うキリストに従うということかを見出す必要があります。これをここで以下の三つのポイントでまとめましょう。

1.寛大な心を持つこと。

キリストは財産を持ちませんでした。命を捨てる程の最大な愛をもって十字架上で自分自身を神様にいけにえとして献げ、私たちに御体を御聖体の秘跡の中で与えます。私たちも、物よりも、自分の人生と愛の心を無償に奉げ尽くすことは、自分の十字架を担ってキリストに従うことに繋がります。

2.有意義に時間を過ごすこと。

キリストは、知識人、社会の有力者や金持と過ごすことなく、社会の中で見捨てられた人、貧しい人、病人や罪人と一緒に過ごしました。いわゆる、社会において御自分の得にならない人と過ごしました。イエス様は、彼らのために時間を惜しまずと共にいて、正義のために戦うことなく愛をもって悪に打ち勝っていたのです。私たちも、働いても、休んでも、勉強しても、食べても、自分の時間を必要な人のために無償に捧げるなら、自分の十字架を担ってキリストに従うことに繋がります。

3.誠実さと熱意を持つこと

キリストは、祈ることに熱心でした。40日間荒れ野で断食して祈り、大切な決断の前に夜を明かして祈り、オリーブの園で血の汗を流すほど熱心に祈られました。神の掟から一点一画亡くならないように、御父の御旨を誠実な心を持って従順に従い、罪と悪を捨てて徹底的な回心を、赦しと聖性によって完全な道を教えました。愛するという最大な掟を十字架の死に至るまで実践してこられました。私たちも、キリストのような熱心に祈って、誠実に御心を行うことによって自分の十字架を背負うってキリストに従う弟子となることでしょう。