メッセージ - A年 年間

 

キリストは、天の国は王が王子のために婚宴を催したことに似ていることに例えています。すなわち、婚礼の御馳走の用意ができた次第、食事に招かれた人たちが皆、それぞれの事情を作ってお断りしました。王は怒って彼らを罰し、彼らの代りに誰でも招いて良いから、客をこの婚礼にいっぱい連れて来るようにお命じになりました。王は客を見て、礼服を着ないで入った男に着替えるようにお薦めしたが、本人が無視したから、彼を懲らしめて外に出すように命じられました。

例えの王は神様であり、キリストは王子です。婚礼とは、キリストと神の民の「結婚」、すなわち、救いを待ち望む人の皆がキリストと一つに結ばれて天国に入る救いの実現を表現します。神様が御用意なさった食事は、御聖体と言いましょう。それは、十字架上で死に至るまで私たちを愛してくださり、罪と死に打ち勝った救いを表現するキリスト自身の御体です。救いを成就するために整えた永遠の命の糧です。キリストの命に与り、永遠にキリストと一緒に君臨することは、神様がお考えになった人生の最終的な目的です。

しかし、私たちの人生の中で地上の生活が身近に感じる現実となっている現在、神様の計画よりも人は個人的な計画を重んじたりします。自分の用事を優先して忙しいから、御ミサ、お祈り、教会の奉仕などを「失礼させて頂きます」と、キリストに御断りの言葉を返したりします。

ある人たちは毎日、お祈りをし、主日に主の食卓を囲んでキリストの御体を拝領するにも関わらず、彼らの心とその生き方がキリストと異なり、滅びに導く道を歩み出します。彼らのことは、礼服なしに婚礼に入った人のことで例えられています。

神様から無償で無条件に頂く愛の賜物と永遠の命の故に、地上での自分の果たすべきことに励む私たちは、傲慢、嫉妬、偽り、怒りの「衣を脱ぎ捨て」、キリストの愛と赦しを頂いて聖性の恵みを「着用」すべきではないでしょうか。「今、あなたの一番大きな人生の目標は何ですか?」と問われたら、何と答えますか。天国の「婚礼」と答えるでしょうか。