メッセージ - A年 年間

 

第一朗読:箴言31,10-13.19-20.30-31

第二朗読:一テサロニケ 5、1-6

福音朗読:マタイ25、14-15.19-21

紀元前5・4世紀に書かれた箴言の目的は『「知恵と訓戒とを学び、正義と公義と公正とわきまえのない者に分別を与え、知恵のある者にはこれを聞いて理解を深めさせる」ということであり、「箴言と、比喩と、主を恐れることは知識の初めである」』と教えている。第一朗読の教えは個人的な責任についてのものである。よい妻はどんな宝よりも望まれるものである(箴言31、10)。よい妻とその姿の美しさなどは関係のないことである(箴言31,30)。よい妻は主人の持ち物を大事にして(箴言31,11)、家族を守り、貧しい人々に対してやさしい心を示す(箴言31,20)。彼女がそのようにする理由は神へのおそれである(箴言31,30)。箴言の著者によれば、よい妻とは信仰を持っている者である。

 

第二朗読は終末論に関するパウロの教えである。人間にはこの世界の終わりのことを知りたいという強い気持ちがある。最初のキリスト者はイエスが再び来られるのはいつのことなのかも知りたがった。しかし、パウロにとってはそれを知ることよりその日にために準備することが必要なことなのである。その準備ができた者は救われる。かれらにとって、イエスの再び来られる日は驚くようなことではなくなる。この日を待っているのだから。一方、準備ができなかった者は救われない。イエスの再び来られる日を待っていなかったからである。この教えが理解出来た者は知恵を学んだ。

 

福音書の言葉は、キリスト者の終末の待ち方を説明するたとえ話である。キリスト者はイエスの来られる日を待っている間、神から貰った様々な恵みを、この世界で神の御旨を行うために使いながら、日々働くはずである。そうする人は神の国が来る日のために良い準備をしている賢い人である。一タレントンは金や銀の約35キログラムに当たる。それは大きな金であったが、一タレントンを貰ったこのたとえ話の人は働く気持ちがなかった。小さい金とは軽い責任。大きな金とは重い責任である。このたとえの人はいちばん小さい責任を取りたがった。神の国のために働く気持ちがないキリスト者は役に立たない者である。