メッセージ - B年 待降節

(マコ13,33-37)

「神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。」1コリ1,9

待降節を迎える私たちは、待降節第1主日に読まれる御言葉によってキリスト者としての生き方の基本を思い起こさせます。キリスト者の生活は、旅に出かけている主人から仕事を与えられた僕たちや目を覚ましているように命じられた門番の生活に似ています。

私たちが与えられた仕事というのは、自分の生活によって神の愛を現し、神の国を証することなのです。また、門番のように目を覚ましている目的は、いつでもキリストご自身を受け入れることなのです。キリストが約束してくださったように、世の終わりに誰でもはっきりと分かるような形で来られますが、その前に目を覚ましている人たちだけが分かるような方法で私たちのところに来てくださいます。もし、私たちはキリストのことを忘れて、他のことに夢中になって、キリストが私たちのところにいらっしゃっているのに気が付かずに、キリストを受け入れないならば、与えられた仕事を果たすことができません。なぜなら、私たちは、キリストと結ばれて、キリストと共に生きているときだけ、神の愛に生きることができますし、神の国を証することができるからです。

私たちは、いつもキリストを自分の人生に受け入れ、いつも共に生きることによって、与えられた使命を果たすことができるだけではなく、最高の賜物を受け入れるために準備をすることができます。この最高の賜物というのは、キリストとの完全な愛の交わりであります。同時にそれは、永遠に続く三位一体の神との愛の交わり、また、救われたすべての人々との愛の交わりでもあります。言い換えれば、この最高の賜物というのは、完成された神の国に受け入れられることなのです。